昨年(令和2年)の秋には、西武公民館前の入間川土手のコスモスを紹介しました。今年(令和3年)は、車で走っていて見つけた多色なコスモスとキバナコスモスのミニ群生地です。場所を得たのか、咲いている密度がどちらも極めて高く、群舞の美しさがすばらしい。
写真①②:所沢市下富の多色コスモス
多色と言っても、濃いい赤紫、赤、ピンク、白の4色に過ぎないが、場所は所沢の下富といった場所のはず。家の小さな庭と畑の境界のところに垣根のようにL字型に密生し、低い位置から高い位置まで花がくまなく咲いている。コスモスは、15cmの高さでも咲き始めるもの。けれども下の方の花は早く枯れ、草丈の頂上部のみに花が集中しがちである。ところが、ここはもともと畑で肥えていたのだろうか・・・下から上まで万遍なく花が咲き、コスモス乱舞の美しさが抜群である。
写真③;狭山市狭山台の交差点際のキバナコスモス
ここから125号線を北上し狭山市の狭山台2丁目交差点というのがある。交差点近くの歩道内の花壇用地のコスモスは「キバナ」だけだが、そのボリュームがすごい。道路側から見ると高層団地を隠してしまうほどだ。キバナコスモスは私からすれば憎まれ子だが、ここまで咲くとその迫力に拍手を送りたくなる。
珍しく今も残るコスモス畑ー三芳町北永井。昔、ここに蕎麦屋があった。周囲はソバ畑で、ある大農家の自家製粉による直売ソバ店。食べに入った人は帰りにコスモスの花のいくつか摘んで持ち帰ることができたように記憶している。
同じ畑が5月にはチューリップ畑に変身
早咲きコスモスの栽培は失敗だった(令和4年9)
マイ団地の花壇に、早咲きコスモスの種を買って、5月上旬に蒔いて間引きもせず育ち放題にした。6月には一部花も咲き、夏場に咲き乱れると踏んでいたが、コスモス乱舞の美しい姿を一度も見ることなく9月末を迎えてしまった。赤、ピンク、白の3色が咲くはずなのだが、4ケ所に蒔いて3色が揃い咲きすることが1ケ所もなかった。まず種そのものがきちっと1定割合で3色を含んでいないように思えた。期待を裏切らないよう種子業者は注意して欲しいものだ。
後は当方の問題だとおもうが、間引きをすると同時に、苗が大きくなった段階で「深く植え直す」必要がありそうだ。本数が多いと成長の良いものと悪いものができ、花が一斉に咲かないのだ。またコスモスは背丈が1.5~2mにもなり、浅い耕土に張った根では、風に耐えられず寝てしまう。耕土を20cmは堀り、腐葉土などもたっぷり投入し、根本は最低10cmくらいの深植えする必要がある。さらに支柱の用意もして、枝の倒れを防ぐことも必要になるのでは。
友人の畑で育ったコスモスをいただいた(令和4年10月9日)
急にコメント失礼します。仏子の地名の由来の考察ブログを見てそちらの方の知識に明るい方かと思い質問?疑問?を書かせていただきたいです。
返信削除10年ほど前に入間市に引っ越してきて暮らしております。埼玉県入間市駅周辺に用がある時に良く黒須地区を通りますが、車で通るだけでもなにか嫌な雰囲気と言いますか気持ち悪い感じがします。
黒須小学校の方面に行く事もありますが、あそこの通りは特別違和感があります。空気が違う感じがします。
何かあった土地なのかと少しネットで調べたのですが、やはり俗にいう忌み地のようでした。
入間市野田周辺で江戸時代?に入間川の氾濫が多発して村民全滅の廃墟と化し、それを聞きつけた役人が罪人や土着渡来人を治水工事と銘打ってそこに住まわせ自然殺害。忌み地と化し、生き残った罪人が密かに住み着いた。
というようなネットの情報があったのですが、入間市の図書館で調べれば入間川の歴史などは分かるのでしょうか?
入間川が大きく曲がっているところの後方に霞川と入間川本流の合流地点があり、そこら辺が黒須ですよね?河川の知識はありませんが、氾濫により犠牲になった方々の遺体が溜まりやすかった地点なのではと素人なりに勝手に考察しております。
妻も10代まで黒須地区に住んでおり、今考えると異様な雰囲気だったと感じているようです。
急にオカルト的な長文コメントすみません…
引っ越してきてから感じてきた違和感が最近になって繋がってきており、情報を探しております。
書き忘れです。
返信削除霞川も昔からよく氾濫しており、慰霊碑があるようですね。水害の記録、犠牲者数などの資料等があれば調べてみたいなと思ってます。
黒須小方面に行くと前のコメントに書きましたが、入間川と霞川の合流点のソフトボール場でよく試合をするのですが、なぜかそこだと全然打てないんです笑。他のグラウンドだとパッカンパッカン打つ強打者のつもりなのですが、あそこだと全然で…笑