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2020年8月30日日曜日

ブラックバス幼魚が22%(入間川元加治寄り)


 すでに80才を越えているが、子供仕様のちゃちな釣り具で、入間川支流の成木川で1人ハヤ釣りばかりしている。今年(令和2年)は1度出掛けたら、台風19号の影響で、成木川は土砂が上流から大量に運ばれ、ハヤが群泳する小さな滝つぼ状のところが、すべて平らになっていた。
 
   当分、昔の姿には戻らないだろうと、10年ぶりかで入間川の仏子・野田地区で昔ハヤばかり釣れた、上橋寄りの石堤からしぶきを上げ落下する下の滝つぼ状のところで、8月末に2度ハヤ釣りをした。この位置から200mも離れればオイカワとコイの生息域で、ハヤはまったく釣れなくなる。仏子・野田地区でも以上のとおりオイカワとハヤの住み分けがされている。川が浅くて水温が高いか、深場もあり流れが速く水温が高いかの差だと思う。
写真:ブラックバスの稚魚

 今回は各2~3時間の短時間の釣りだが、1回目の1投めに来たのは強い引きのブラックバスだった。2時間後の成果はいずれも6~10センチ以下の稚魚ばかりで、ハヤ7尾、ブラックバス2尾。2回目も稚魚ばかりでハヤ10尾、ブラックバス3尾だった。ブラックバスはまったく想定外で10年前にはお目にかかっていない。合計すると22尾中5尾がブラックバスで、その割合は22.7%になる。

   下流の中橋にかけてフライ・フィシングする人がアユ釣りの人の4~5倍に増えているように思う。下流部で川の中を覗くと無数のオイカワの群れの中を時たまコイが横切り、かなり頻度は少ないがブラックバスの20~30センチが横切る。尾びれの根元に黒い縦じまがあり、寸詰まりのような体形が目印になる。オイカワ対比の22.7%までは増えていないが、5%ぐらいまで増えているかもしれない。

このため、2005年6月に「外来生物法」により、ブラックバスのうちオオグチバス、コグチバスの輸入、飼養、運搬、移植を原則禁止にした。だが、「在来生物の影響は軽微」「影響はない」などの反論もあり、一方でブラックバスの釣りを好む人たちにより、無断運搬、放流が進んでいるのが現状である。入間川のブラックバスもこの流れのなかで急増しているわけだが、バス以外にもアユやハヤ、オイカワの在来魚を減らす圧力は、鳥のウ(アユを食う)、魚のコイ(ハヤやオイカワの産卵したタマゴを吸いつくす。入間川で釣る人がが皆無に近く、コイは増えすぎている)も関係しいる。

入間漁協組合もありアユ、雑魚の入漁券、おとりアユの販売などをしているが、想像だが農業者の片手間仕事で収入も少なく、釣り人全員から入漁料を徴収することもままならず、ましてや生息する魚をコントロール作業(ブラックバスの駆除等)まで到底手が回らないはずである。とするなら、むしろ現在の漁業者と言われる人、アユやイワナ、ヤマメ、ブラックバス、雑魚等の釣り人、入間川の環境問題に熱心な人・・・などが集まり協議団体を作り、この議論を通じ、ブラックバスの釣りや放流、移動のルールを作り、入漁料の集金もきちんとしバス釣りを公認していくことが必要なのではないか。現在、力を失ってきた漁業組合中心の管理では、ブラックバスをどんなに規制しても、実行が伴わないように思う。

2023年5月13日と22日
久しぶりに野田側の上橋寄りでハヤつりをしたが、魚影はゼロで坊主に終わった。成木川に1週間前にハヤ釣りに行ったときは、わんさか魚影に出会ったのに(実際は深場が減り、釣れたのは18cm級のハヤ1尾)、入間川仏子・野田地区は魚影ゼロ・・・理解できない。途中、雨がありプランクトンやコケが流てしまったためか。22日も魚影ゼロで坊主。一部、上橋近くで土嚢をたくさん積み工事をしており、ハヤが産卵する川底のくぼ地が埋まってしまい、産卵できなくなったのでは。ブラックバスも住処を失ったのではないかと危惧している。7月下旬・・・ミミズでハヤ釣りをしていて20cmのブラックバス1尾のみ。赤い練り餌でもハヤなし。他の人も釣れていない様子。釣れない川になってしまったように思う。

上橋下の堰ていについて初めて知ったのだが、堰てい下は3メートル幅の平らなコンクリート。水深は5センチほどで長靴さえはいていれば、野田側から仏子側に歩いて楽に渡れることを知った。仏子側の堰てい脇に深場があり、ここで前年ハヤとブラックバスを釣ったのだが、今回この深場がなくなり、せいぜい30cmの深さ。深場のハヤ・ブラックバス狙いは「もう、当分ダメ」との感想でガッカリである。



2020年4月13日月曜日

入間市にも文化と花の香りを!他市に学ぶ

 入間市民が誇りに思えるものとしては、加治丘陵や入間川の自然、広く美しい茶畑と狭山茶、歴史を詰め込んだ博物館のアリット、珍しいアメリカンスタイルのジョンソンタウン・・・と数々ある。だが、毎日接する街並みの中に、誇りを感じさせるものが散在しているかと言えばそうでもない。つまり駅前とか各種会館、ショッピング・センターなど人が沢山集まる場所に、文化の香りとか、うるおいや華やかさを感じさせる花壇や彫刻、文化財を知らせる表示板などがない。

 例えば駅周辺。武蔵藤沢、稲荷山公園、入間、仏子、元加治・・・市内のどの駅も、駅周辺の整備を十分しないまま進んできたため、広い広場や繁盛商店街もない。武蔵藤沢駅の南口は、珍しく幹線道路と住宅が整備されているが、商業集積は北側に譲り、南側は郊外地型のスーパーが点在するのみである。駅前ロータリーにある3つの花壇用地にも宿根草の類が1種植えてあるだけで、花が皆無である(4月の時点で)。ほかの駅となると駅前に公用地が全くないためか、入間駅のバス乗降のロータリーに彫刻があるくらいである。
 写真① 「人」の彫刻前に集合の親子グループ

 私は週3~4回ほどふじみ野市にある東武東上線の上福岡駅に行く。駅西口には町内会のお祭りをやれるほど広い駅前広場があり、その中央には「人」をかたどった石像がある。土日ともなれば、この彫刻を目印に写真①の通り親子の集団が群れている。駅を基点にどこかにハイキングに出向く様子である。この広場の掃除には地元商工会の有志?と思われる人や、身障者の人までが当たっている。また広場と一体になった形で、バスの発着場があり、そのロータリーの中央は2区画に分かれた広い花壇があり、写真⓶の通り、4月には何百本のチューリブやパンジー、その他多数の花が咲き競っている。
 写真⓶ 駅前ロータリーの花壇

 東武東上線と川越街道が300mほど離れ平行して走っているが、この間を結ぶ幹線道路は整備され、太く自転車の走る路側帯の表示もある。さらにケヤキやイチョウといった大木に育つ街路樹を避け、ハナミズキの並木にしており、しかも紅白の花が交互に咲くよう植えられている。
 写真③ お馬の親子の音符の高さに合わせた石柱

一部だが歩道を広くとり、写真③のような「お馬の親子」のメロディーに合わせた音符の高さの四角い石柱が30ほど建てられている。その足元は多種の花咲く花壇であり、心休まる演出が素晴らしい。しかもこの幹線道路を西に走ると晴れた日には富士山が真正面に見える。空気による屈折の為か、かなり大きく見える。「ふじみ野市」の名の由来を日々感じさせる素晴らしい光景である。また川越街道を走ると中央分離帯には4月であればチューリップが何百本も咲いている:写真④・・・いずれにしても文化と花の香りとが充分に伝わってくるのだ。
写真④ 川越街道の中央分離帯のチューリップ

 入間市の場合、「彩の森入間公園」には多数の広い花壇があり、4月にはチューリップ1万本が一斉に咲く。素晴らしい。しかし県営公園で市の管理ではない。市では「花いっぱい運動」を展開し、ボランティアに球根等を配ってもいるが、半来なら地域に分散した花壇を花で彩るだけでなく、西武鉄道に協力を乞い駅前など人通りの多い場所にも花壇を設けるとか、大型のプランターをいくつか置いて、花を植える管理をし、季節の美しさを演出して欲しいものだ。

 さらに地元出身の彫刻家の作品を置くとか、茶の湯を物語る彫刻を設けるとか、ジョンソンタウンやアリット、加治丘陵、入間川の河原に出る案内看板を立てるとかし、郷土を誇れるような雰囲気づくりが望まれる。ちなみに紹介すると入間市の人口15万人に対し、ふじみ野市は11万人である。

2020年3月27日金曜日

元加治団地の花壇は見事!+他の団地花壇

 元加治団地(入間市大字野田351)は150世帯と小さい部類の団地だが、芝や樹木の管理が行き届いた団地である。

 それだけでなく、管理事務所まえの敷地の花壇、公園にある花壇の2つともがすばらしい。花の種類、いろどりのバランス、植え方、管理・・・など日本1といっても過言でない。なんでも苗他の資材を団地が負担し、熱心な1人の方が管理しているそうで、乱れなく最大限の美を追求しやすいのではないか。…令和4年3月末にはこの花壇は植木に代わっていた。担当者の高齢化が理由かどうか?

 写真①②の花壇はレンガで囲まれた728cm×273cmの花壇とプランター40程を組み合わせた階段状のもの。立体的であり色模様がすばらしく、各花が引き立っている。

写真① 管理事務所前の花壇

写真⓶ 管理事務所前の花壇

 公園の花壇は546×546cmほどの、きわめて広いレンガ囲いのもので、こちらはチューリップが70%ほどで、その色の競艶が楽しみである。・・・担当者に何かあったのか
不明だが、令和4年の4月に見に行ったが、多段の花壇は植木に入れ替わっていた。
写真③ 団地内の公園の花壇

 2024年5月3日 元加治団地の事務所前花壇の担当者は変わった様子で、今現在はかなり変わってしまっている。

丸太式プランターがモダン 入間駅前プラザ第1団地



団地設計段階で多数の花壇配置 新所沢西口団地

 自治会に花壇委員会もあって、落葉による堆肥づくりもしながら、6月と11月には子供さんも参加して、花の植え替えを一斉にしている。レンガで囲まれた花壇化可能用地も多く、団地の設計時点で花壇用地に充分の配慮がされた団地と言えます。11月はパンジー一色の栽培ですが、6月はもっと多種の花が植えられるようです。花苗は出入り業者の寄付と聞いています。


レンガで囲まれた樹木が植わった「花壇化可能地」も多数あります。

団地と森林公園一体型で団地内花壇ゼロ 狭山台第2住宅

 狭山台第2住宅団地は比較的小さい団地(   世帯)のためか、団地内の花壇面積はゼロある。だが団地区画の中に森林公園(武蔵野の雑木ばやしのようなもの)が組み込まれ、こちらの側には大きな花壇が4つほどある。公園側が花壇の管理をしている様子。
 


2020年2月1日土曜日

仏子にも古代木・メタセコイアがある!

 メタセコイアは100万年前…アケボノゾウなどが群れをなす時代の古代木で、入間川のアケボノゾウの足跡発見地の周辺にも生えていた痕跡がある。
写真 入間市博物館にあるメタセコイアの化石
 
 そしてその後死滅したと考えられていた。  にもかかわらず、入間市仏子のリバーサイド団地にも5本ほどある。秋になると写真のとおり赤褐色に紅葉する。リバーサイドに来れば名入りの板が幹についているのですぐわかる。ちょと厄介なのは、針葉樹で枯れ葉に油脂が多く含まれているためか、すぐ下の花壇の土がいつまで経ってもサラサラして腐食土になりにくいこと。


写真 紅葉した3本並びのメタセコイア

滋賀県に行くと2.4kmにわたる並木もあるし、皇居にもある。結構あちこちに植えられているそうだが、死滅したはずの古代木が現存するのは変である。
なぜか。
 
 実は、メタセコイアは絶滅種と考えられていたものが、1946年に中国四川省で生き続けていたものが発見されたのだ。アメリカの学者が種子を採集して持ち帰りアメリカで増殖に成功。1950年に100本の苗が日本に贈られた。これを、日本における親類種のセコイアを研究していた植物学者の三木茂博士(大阪市立大学教授)が「保存会」を設立して苗木を増やし、北海道から九州の至る希望者に配布したのだ。元となった木が、今も大阪市立大の植物園にあるそうだ。

 メタセコイアは和名をアケボノスギと言うそうだが、高さ20~35mになり、直径は1.5mにもなるとのこと。   (以上ネット情報より)




2019年10月16日水曜日

台風19号(令和元年)ー入間川(仏子)景観を半壊

 入間川の仏子付近の北河原は、段丘状になっており、通常の河原より1.5mほど高いところ(河川敷の一部)にテニスコートや多種の競技のできる広い運動場がある。さらに1.5mほど高いところに住宅があり、まず洪水の害が起きにくい。私の見立て通りで19号(2019年)台風の濁流は、中橋寄りで運動場のはずれギリギリまで押し寄せたが、そこで止まっている。これは初めの2枚の写真でも明らかである。
写真① 西武公民館前のグランド一杯に水が流れた跡

写真⓶ 西武公民館の土手下に流れてきたゴミの集積が帯状に続く

 だが、上橋寄り(元加治寄り)のグランド部分は、堰越えで水の勢いが強いためか、徹底的に破壊されている。花壇やコスモスが美しかった川岸に近い半分は表土がはがれている。そこに直径30cm前後の石がゴロゴロと積みかさなり、時にシルト層が割れて流れついた1mもの褐色の石もある。

写真③ 元加治駅寄りのグランドの半分は土が流れ、石だらけ 

 










写真④ 元加治駅方向からグランドに降りる階段寄りの荒れた光景












   


 象の足跡が発見された当たりの破壊度は特に高く、シルト層の1.5mほどの段丘が大幅に削られ、昔の大木の2mほどの切株や立ち木の跡と思える20cmほどの穴も多数顔を出している。像の足跡とも思える文様も散見される。

写真⑤ 岸辺のシルト層の段丘が大幅に削られ,川岸から遠のく













写真⑥ シルト(砂と粘土)の2mもある塊が漂着

写真⑦ メタセコイヤとおぼしき株が露出・・・炭化して黒い












 100mほど上流に高さ3mほど?の堰堤(えんてい)があり、ここは川幅も最も狭く、濁流が横と下から圧縮され、放水状になって岸辺や河川敷を深くえぐりとったのではないか。

   桜の遊歩道のある南側の河川敷も3本ほどあったクルミの木ほかの樹木がきれいさっぱり流されなにもない平地になってしまった。今までとは異なる姿になるが、自然の新しい景観をとりもどすには5~10年もの歳月がかかるのではないか。私が勝手に「入間川のイギリス海岸(宮沢賢治)」と命名した景観を復活させるには、市や河川管理者の支援も必要になるはず。

パート2 19号台風の爪痕
仏子駅から金子側に抜ける途中が、新久である。この道路沿いで崖崩れが発生した。いまのところ崖くずれはここのみか?幸い家屋等の損壊はない様子。
 

2020年10月1日 追記
 元加治方面の破壊された河川敷に、ダンプカーで膨大な土が運び込まれ、石がむきだしだった運動場のほとんどは平らに補修されつつあった。ただ、次に来る大型台風でまた同じようにならないか?と心配な面もある。上流のダムの放水量も配慮し、すぐ近くの石堤の構造も改善する必要がありそうだ。

2019年4月29日月曜日

入間川堤の遊歩道沿いは巨大花壇ー四季の草花

   ニュウ間川堤の遊歩道沿いの南斜面は、300m以上にわたり、幅2mほどの巨大花壇(600㎡)になっており、花いっぱい運動に参加するリバーサイド団地の9人が分担し管理している。ここには四季折々の草花が多種植えられている。南斜面で日当たりもよく、長年耕作し肥沃で手入れも行き届き、チューリップ一つ見ても勢いがよく花弁も大きい。担当されている方からアドバイスをもらいながら、四季折々の草花を紹介していくことにしたい。
写真は花いっぱい運動の面々


3月下旬 まだ花は少ない

写真㉟ スイセン
 
 写真㊱ 花ニラ

 

写真㊲ ムスカリ

4月上旬

写真①奥左はハナニラ、中段はチューリップ、下段はシバサクラ
      写真② ネモフィラ(ハゼリソウ科):別名ルリカラクサ

写真③ ジャガ(アヤメ科)

写真④ツルニチニチソウ(キョウチクトウ科)

写真⑤ ノースポル(キク科):別名ヌマザワギク

写真⑥ ヤマブキ(バラ科):別名オモカゲソウ

写真⑦ プリムラ(サクラソウ科)

写真⑧ ヘレボレス(キンポウゲ科):別名レンテンローズ
                         
       
          写真⑨ ヤマブキ(バラ科):別名オモカゲソウ

写真⑩ アザレア(ツツジ科):別名セイヨウツツジ
                            
  写真⑪ 上・下 アヤメ





















   以上のほか、赤や白のツツジも多数咲いていた。 5月初旬にかけアヤメも多種さいていた。

5月下旬
 写真⑫ チェリーセージ (シソ科)
写真⑬ ブルーセージ (シソ科)? 上の白い花はチドリソウ
写真⑭ イモカタバミ(カタバミ科) 
写真⑮ ヒベリカム(オトギリソウ科) 中央の1つは別
写真⑯ チドリソウ(キンポウゲ科)
写真⑰ アジサイ(ユキノシタ科ハイドランジア属)


6月中旬
写真⑱ ヒルザキツキミソウ(アカバナ科)
写真⑲ マツバギク(ツルナ科ラングラサス属)
写真⑳ ヒペリカム(オトギリソウ科ヒペリカム属)
写真㉑ バーベナ(クマツツラ科バーベナ属)
写真㉒ タマアジサイ(ユキノシタ科ハイランジア属):手まり咲型 


写真㉓ ガクアジサイ(ユキノシタ科ハイランジア属)


写真㉔ カシワバアジサイ(ユキノシタ科ハイランジア属)


写真㉕ ブルーサルビアorブルーセイジ(シソ科サルビア属)


写真㉖ スカシユリ(ユリ科ユリ属)

写真㉗ ホタルブクロ(キキョウ科ホタルブクロ属)


8月下旬 暑さに花は弱い?花壇は緑色が勝っている

写真㉘ フヨウ(アオイ科)花ことば:しとやか
写真㉙ ムクゲ(アオイ科) 花ことば:信念
 写真㉚ ヒャクニチソウ(キク科) 花ことば:変わらぬ想い          
写真㉛ハナトラノオ(シソ科) 花ことば:達成
写真㉜ バーベナ(クマツズラ科) 花ことば:魅惑する           
写真㉝ ブルーサルビア(シソ科)                     
写真㉞ ラムズイア(シソ科) 花ことば:誘惑              

9月下旬
写真㉞ 赤と白の曼殊沙華(ヒガンバナ科ヒガンバナ属)ー10月上旬まで?