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2020年8月30日日曜日

ブラックバス幼魚が22%(入間川元加治寄り)


 すでに80才を越えているが、子供仕様のちゃちな釣り具で、入間川支流の成木川で1人ハヤ釣りばかりしている。今年(令和2年)は1度出掛けたら、台風19号の影響で、成木川は土砂が上流から大量に運ばれ、ハヤが群泳する小さな滝つぼ状のところが、すべて平らになっていた。
 
   当分、昔の姿には戻らないだろうと、10年ぶりかで入間川の仏子・野田地区で昔ハヤばかり釣れた、上橋寄りの石堤からしぶきを上げ落下する下の滝つぼ状のところで、8月末に2度ハヤ釣りをした。この位置から200mも離れればオイカワとコイの生息域で、ハヤはまったく釣れなくなる。仏子・野田地区でも以上のとおりオイカワとハヤの住み分けがされている。川が浅くて水温が高いか、深場もあり流れが速く水温が高いかの差だと思う。
写真:ブラックバスの稚魚

 今回は各2~3時間の短時間の釣りだが、1回目の1投めに来たのは強い引きのブラックバスだった。2時間後の成果はいずれも6~10センチ以下の稚魚ばかりで、ハヤ7尾、ブラックバス2尾。2回目も稚魚ばかりでハヤ10尾、ブラックバス3尾だった。ブラックバスはまったく想定外で10年前にはお目にかかっていない。合計すると22尾中5尾がブラックバスで、その割合は22.7%になる。

   下流の中橋にかけてフライ・フィシングする人がアユ釣りの人の4~5倍に増えているように思う。下流部で川の中を覗くと無数のオイカワの群れの中を時たまコイが横切り、かなり頻度は少ないがブラックバスの20~30センチが横切る。尾びれの根元に黒い縦じまがあり、寸詰まりのような体形が目印になる。オイカワ対比の22.7%までは増えていないが、5%ぐらいまで増えているかもしれない。

このため、2005年6月に「外来生物法」により、ブラックバスのうちオオグチバス、コグチバスの輸入、飼養、運搬、移植を原則禁止にした。だが、「在来生物の影響は軽微」「影響はない」などの反論もあり、一方でブラックバスの釣りを好む人たちにより、無断運搬、放流が進んでいるのが現状である。入間川のブラックバスもこの流れのなかで急増しているわけだが、バス以外にもアユやハヤ、オイカワの在来魚を減らす圧力は、鳥のウ(アユを食う)、魚のコイ(ハヤやオイカワの産卵したタマゴを吸いつくす。入間川で釣る人がが皆無に近く、コイは増えすぎている)も関係しいる。

入間漁協組合もありアユ、雑魚の入漁券、おとりアユの販売などをしているが、想像だが農業者の片手間仕事で収入も少なく、釣り人全員から入漁料を徴収することもままならず、ましてや生息する魚をコントロール作業(ブラックバスの駆除等)まで到底手が回らないはずである。とするなら、むしろ現在の漁業者と言われる人、アユやイワナ、ヤマメ、ブラックバス、雑魚等の釣り人、入間川の環境問題に熱心な人・・・などが集まり協議団体を作り、この議論を通じ、ブラックバスの釣りや放流、移動のルールを作り、入漁料の集金もきちんとしバス釣りを公認していくことが必要なのではないか。現在、力を失ってきた漁業組合中心の管理では、ブラックバスをどんなに規制しても、実行が伴わないように思う。

2023年5月13日と22日
久しぶりに野田側の上橋寄りでハヤつりをしたが、魚影はゼロで坊主に終わった。成木川に1週間前にハヤ釣りに行ったときは、わんさか魚影に出会ったのに(実際は深場が減り、釣れたのは18cm級のハヤ1尾)、入間川仏子・野田地区は魚影ゼロ・・・理解できない。途中、雨がありプランクトンやコケが流てしまったためか。22日も魚影ゼロで坊主。一部、上橋近くで土嚢をたくさん積み工事をしており、ハヤが産卵する川底のくぼ地が埋まってしまい、産卵できなくなったのでは。ブラックバスも住処を失ったのではないかと危惧している。7月下旬・・・ミミズでハヤ釣りをしていて20cmのブラックバス1尾のみ。赤い練り餌でもハヤなし。他の人も釣れていない様子。釣れない川になってしまったように思う。

上橋下の堰ていについて初めて知ったのだが、堰てい下は3メートル幅の平らなコンクリート。水深は5センチほどで長靴さえはいていれば、野田側から仏子側に歩いて楽に渡れることを知った。仏子側の堰てい脇に深場があり、ここで前年ハヤとブラックバスを釣ったのだが、今回この深場がなくなり、せいぜい30cmの深さ。深場のハヤ・ブラックバス狙いは「もう、当分ダメ」との感想でガッカリである。



2019年3月10日日曜日

入間市と徳島県三好市の市対応の違い

 入間市と徳島県三好市には共通点がある。ともに「仏子」という大字の地名が存在することだ。本ブログの「仏子という地名の由来」の項で紹介しておいた。ところで「三好市の仏子という地名がどういう理由でついたか」と参考資料の送付をお願いした。早速10ページにもわたる詳しい資料が届き、600円かのコピー+送料の請求があったので、1000円分を送金した。

写真① ふるさと納税を訴える市のパンフ表紙
                     

送金後に、女性の方がわざわざ電話で「余分の400円はふるさと納税分として処理していいですか」と連絡してきた。即座に「いいですよ」と答えたが、電話で連絡をとれば「また電話代がかかるのに」と、その丁寧さに驚いた。

三好市は徳島県の西に位置し山間地の市で、面積はすこぶる広く、県全体の1/5にもなるように思う。平成31年2月現在の人口は26,140(入間市は3月現在148,400)、世帯数は12,708(入間市65,458)である。入間市に比べれば両数字ともに5分の1以下の規模である。

電話のあと、しばらくして黒川征一市長の礼状とともに、「ふるさと応援寄付金―お礼の品リスト」が届いた。ふるさと納税については、過剰なお礼品が新聞・テレビで問題になっているが、10,000円以上、30,000円以上、50,000円以上、100,000円以上・・・と段階を分け、計29品の返礼品のリストが同封されていた。すべて自県内の産物であった・・・たとえばミカン、米、日本酒、ユズの醸造品、黒毛和牛セットなどである。
写真② 市広報2018年3月号のトップ特集記事

それだけでない。また数日後に「みよし市報」とともに、A4版16ページ分に相当する三好市のカラー印刷のドライブマップ(実際は裏表印刷の8つ折り)まで送ってきた。ふるさと納税は別として家族旅行に来てください・・・とのメッセージである。400円のふるさと納税をしたに過ぎない私に対しても「大切な県振興の見込み客」と見てアプローチする熱心さに心打たれた。

写真③ ドライブマップの表紙














写真④ ドライブマップ
 に記されたグルメ料理














「みよし市報」は30ページ。いるま市報は26ページとやや薄いだけでなくお知らせ欄が多く読み物が少ない。みよし市報2018年3月号では、「かずら橋を次世代に」という巻頭特集が5ページにまたがり組まれている。12枚の写真、7枚の絵も挿入され、自然木と綱で作る伝統の架けかえ橋(3年に一度の)の内容が充分にわかる。他にも「地域おこし協力隊―活動報告」(1p)、「活躍する三好市の子どまたち+関連記事」(4p)「三好市医師会市民公開講座」(1p)といった読みものがある。「おたんじょうびおめでとう!」という半ページに満たない欄で、7人の子供さんが紹介され、それぞれに激励の短文もついている。地域への密着ぶりもわかろう。

「ドライブマップ」は実にすばらしい。A4×8面の裏表で計16面だが、全体の裏面(8面分)は巨大な三好市の観光地図。表面には35の観光名所や25ほどのご当地グルメ料理、地場産のギフト用の逸品が出ており、他にも体験プランなども紹介されている。このドライブマップ1つ持って出れば、三好市の楽しい旅ができる。

 いずれにせよ、市のやる気がみなぎっている。入間市のばあい田中龍夫市長は地域の祭りや敬老会などしばしば顔を出してくれるが、職員が地域に活発に出て市政の問題点を拾うとか、窓口で収集した市民の声を市政に反映する・・・と言った姿勢に欠けている。だから最近の公共施設マネージメントの集会においても、かなりの市民感覚との乖離が指摘された。

 私自身、1昨年春に写真13入りで10ページの、6分野の市活性化の提案書も提出したが、なんら末端部署からの問い合わせもない。10年前には、当時の木下博市長宛に「市内の道の駅と農産物直売所設置の提案」をしたが、数日後に当時の商工観光課、農業振興課?の課長さんほか4人の集まる席でレクチャーをするよう呼ばれた。今回は要素の違う6つの提案であり、6つほどの課に関係しているのにどこからもお呼びがない。いくら公共施設マネージメントの地域説明会で忙しいとは言え、「市民の声に耳を傾ける」という熱意に欠けている。三好市のような意欲的な職員が増えるかいなかは、田中市長の双肩にかかっているのでは。


2018年10月15日月曜日

入間市の少子高齢化・人口減少は深刻ー出生率すこぶる下位

  入間市の少子・高齢化・人口減少対策

 入間市では各地で公共施設マネージメントについての市民との意見交換会を実施してきた。H30年7月8日の表記についての意見交換会(最終とさえたが、さらに1回行われたはず)に出た。提案されている内容をかいつまんで紹介しよう。今回は人口問題に絞る。

<参考>公共施設マネージメントの概要
   施設系=小中学校、公民館、図書館、市役所等
   インフラ系=道路、公園、橋、上下水道
   プラント系=クリーンセンター、西城、浄水場、最終処分場。
これらの施設が、高度成長期に整備されたが、50年たち鉄筋コンクリー
 造りの寿命の約50~60年(耐震建築基準より以前の建設)たち、寿命が日に日に近づいている。
  雨漏り、配管類の腐食、建物のヒビなどが生じ、寿命をむかえようとしている施設を、耐震化工事などの工夫して長く使ううとか、時に建て替えが必要になる。また人口減少により税収も減るので、建物や機能の統合をはかり、建設や運営のコストを減らす必要もある。 


1.  税金を払う生産人口は27後に64%に

(1)入間市の人口は、下表のとおり2010年に15万1千人をピークに漸減し、平成30年の現在は推定148,700人ほど。少子化が進む中、27年後の平成57年には112,300人(H30年に比し75.5%)まで減るとされる。

(2)問題は市の税収を支えるのは表の生産年齢層である。この15~64才層は、平成30年を基準にすると27年後には実に64.4%レベル、つまり約2/3までに下がる。これは実に厳しい数値で、「市長さん!人口減少に対し打つべき手を充分打たず、このまま進んでいいんですか」の疑問が生ずる。27年後といえば今生まれた人が結婚適齢期を迎え、子供を出産する年齢である。今人口減少を食い止める対策をとれば、27年後の減少を増加に転じさせることも可能なのだ。


表―1 人口に対する「生産年齢等の構成比%  単位:人 



 マネージメントと10年ビジョンに出ている表を合体

年度
元号  (西暦)
年少人口
014
生産年齢
1564
高齢者
65才以上
合計
60年(1985
30,292
26.2%
78,669
68.1%
6,545
5,7%
115,506
22(2010)

20,495
13.6%
101,014
66.9%
29,405
19.5%
150,914
H27年(2015)
19,016
12,7%
93, 990
62.7%
36,946
24.6%
149,952
H30年(2018)
17,906
12.0%
89,952
60.1%
41,865
28.0%
148,723
H33年(2021)
3年後
16,762
11.5%
86,229
59.0%
43,018
29.5%
146,029
H38年(2026)
8年後
15,037
10.7%
82,364
58.4%
43,607
30.9%
141,009
H57年(2045)
27年後
10,976
9.8%
57,972
51.6%
43,367
38.6%
112,315
H57/30年比
O,613倍
0,644倍
1.036倍
0.755倍


2.市活性化のビジョンが不明確

少子高齢化→生産年齢層の大幅減少→税収の縮小→併行して進む公共施設の老朽化→施設や業務の再編成    以上の流れは「縮小均衡」のイメージに繋がり、「市の明るい将来」が見えてこない。出席者の1人は「市の総合的改善ビジョンを示してから、こうした提案がなされるべきである」との発言があった。私もその通りだと思う。市のほうでは「市のあるべきビジョンは別途、平成28年~37年に至る10年間のまちづくりの総合計画で発表している」と言う。

だがこの総合計画を見ると、抽象的で過去の延長線上の未達成の計画に過ぎない。「入間市は新鮮で個性的な、かつ実効性のある未来計画を推進する」といった意欲がどこにも見られない。地域の活性化などは、多くの市町村の例を見ると、アイデア豊かで、実行力のある市職員5~6人がいれば達成されている。人口や子供の増えている市町村、川越のような地域活性化に成功した市町村に職員を派遣し、意欲溢れた職員を育て、意欲溢れる市民ボランティアと一体になってことに当たる必要があるのではないか。

3.人口減少対策は国も失敗している

「少子化・人口減少は当たり前」と思う方がおかしい。人口減少は日本が将来、経済縮小で弱小国に転落することを意味する。

1人の女性が一生に産む子供の数を特殊出生率というが、2016年時点で日本は1.440である。フランス1.960、アメリカ1.800、イギリス1.800、ロシア1.750、ドイツ1.500である。日本より低い先進国はイタリアの1.350くらいである。このまま推移すれば、夫婦2人に対して子供1.44人ということだと、日本の国力は今の2/3ほどに縮小し、人手不足が深刻化し移民大歓迎国家になってしまう。それでも良いのだろうか?今日マスコミの議論も、少子化の抜本的改善より外国人の受け入れ問題に終始している。

  私は本ブログで「入間市は気候良し、緑の環境良し、学級崩壊なし、犯罪なし」で子
育て環境の良さを強調してきた。だが入間市の特殊出生率は一段と悪いく、子育て環境が整っているとは言えないのだ。平成26年の時点で1.18だ。国全体の1.44と大違いだ。これは周辺地区にも言え日高1.05、飯能1.08、狭山1.18となっている。子育て環境が良ければ、こうした出生率にはならない。

特殊出生率を引き下げる要素には、結婚率や離婚率も関係するが(人口1,000人当たりのその年の該当件数で表す)、結婚率は所沢市の4.49人に対し、入間市は3.84人と低い。離婚率は所沢市1.73人に対し入間市は1.93人と高いのである。

いずれにしても、「結婚したくない」とか「子供を1人以上は、産みたくない」と考える人が多い。「今の給与や年金が将来保証されないはずで、安心して子供をつくれない」との声がある。ただ低賃金層の拡大といった経済問題だけが少子化の原因ではないのである。むしろ所得の高い地域のほうが出生率が低く、低い方が出生率が高い傾向にある。全国の市町村の数は1,742あるが、入間市の1世帯所得は全国301位で上位にぞくするが、出生率は1,600位とすこぶる下位なのだ。

 47都道府県の所得を横軸、出生率を縦軸とした分散状況を見ると、右肩下がりの傾向線が引け、両者は半比例する。出生率の高いのは1世帯所得の低い沖縄や九州各県で、低いのは所得の高い東京や神奈川ほかの関東や大阪などである。

一般に高所得の家庭では、子供の高学歴を狙いー一流企業への就職ーそして1人子(少子)・・・の傾向があるとされる。苦労しても複数の子を育て、兄弟が競争し合い助け合う、そして自立心と思いやりのある人間に育ててこそ、親も幸せになることを再認識すべきだろう。1人に期待を寄せた育て方をすれば、ときに恋愛もできず、職場で協調を欠き疎外される人間になりかねないのだ。


4.若いカップルの誕生と流入の促進    
    では、人口増のため市は具体的にどんな手をうつべきか。
市とすれば、子育て以前の問題として、青年男女の交流・恋愛の場を用意すべきだろう。若者向けのコンサートやイベントを意図的に開催し(周辺の市よりもこうした機会が少ない)、イベントの後に500円ほどの簡易パーティを開き、結婚相談所の方にボランティアとしてヘルプもお願いし、カップルの誕生を促進すべきだろう。なお結婚については家庭教育も大切な要素で、夫婦喧嘩ばかりを見せていれば、子供は「結婚などまっぴら」の気持ちを持ってしまう。

 次に若いカップルの流入を促す必要がある。市の気候や自然環境の良さ、子育て支援策(今より充実した出生補助金)などをパンフにし、不動産屋に来る若いカップルに配ってもらうようなアイデアも持つべきだろう。空き家物件や情報も市で管理し、不動産屋に供提するとかし、安い家賃の生活を提案する。また耕作放棄地における市民農園をふやし、若い夫婦に特別な条件で貸し出すようにする・・・これで家計費負担を少しでも軽くできれば流入効果も高まるはず。

 出生率のアップには、市が国の子育て支援金に上乗せする支援金を用意すべきだろう。立派な道路や橋、公共施設を造るのをやめ、その一部を割き2子、3子を生んだばあい、特別奨励金を出すくらいの努力が必要だ。たとえば仏子と野田をつなぐ立派な橋が誕生したが、両サイドの歩道は各1mくらいはなくてよかったと思うのだが、皆さんはどう感じるか?。

 出生率と関係が深いのが、子育て支援である。市は「待機児童マイナス維持」を強力に推進すべきだ。それには当面、武蔵工業団地の企業などと連携をとり、企業内保育所をそだてるべきだ。これについては埼玉県の補助金もある。企業の側とすればこれからの労力不足を女性で補うばあいのメリトもあり、どこも乗り気になっているはず。中小企業も寄合って、今後統合によって空く公共施設を利用して、共同保育所を作る方法もあるのではないか。
 
 子育てには、近い距離に幼児を遊ばせる公園があることも大切のようである。テレビで人口急増の千葉県某市を取り上げ、子供連れのママの意見を流したが「広い公園がある」の声が強かった。市としても、面ごとに広い公園を設置するよう努力すべきである。飯能市の加須公園の賑わいを見るにつけ、うらやましく思っている1人である。



 

今後順次追加

2016年1月1日金曜日

なぜ地域活性化・地方創生か?

    いま「地域活性化」や、その結果としての「地方創生」が全国的に叫ばれている。このブログは、仏子地区(野田や金子を含む)をさらに楽しく、住みやすく、外部の人も多く訪れる活力ある町にするためのものである。
写真:金子駅前にある茶畑・加治丘陵の散策案内看板ー自然をどう生かすかも課題

地域活性化や地方創生という言葉は、元総務大臣の増田寛也氏ほかが「今のままでは全国市町村1,742のうちの896が消滅しかねない。東京への一極集中を改め、地域特性を生かし地方に活力をつけるべき」と、「地方消滅」(中公新書)で提言したことで、広がりを見せたと言ってよい。実際は「活性化・創生」という言葉そのものは文中にはない。しかし人口、世帯、年齢別人口、男女構成、出産数など数字を上げ、理詰めでその必要性を説いている。

増田氏は岩手県知事を経て総務大臣も経験し、地方・中央につうじた人だ。私が唯一書いた環境小説「成木川の早太郎」(文芸社―すでに絶版。H12年の静岡県教育委員会の推薦図書になった)を贈ったとき、丁重な礼状をくださったやさしい方でもある。本を贈ったのは某新聞に「環境問題に熱心な7知事」の1人として紹介されたからだ。

「地方活性化」「地方創生」と言っても居住人口の奪い合いや、そのためのアイデア合戦では意味がない。どこかが沈み、どこかが浮上するのでは±ゼロである。各地がそれぞれ①生活環境=豊かな自然、教育、文化・スポーツ、住宅、買い物先等、②就業環境=主婦を含め、地元や近隣に働く場がある、③福祉環境=子育てや介護の予算、施設、見守り等・・・こうしたものが整ってこそ、無理なく居住者が増え、新生児が増え、地域人口が伸びる。そして地域の経済が潤ってこそ、地方の持続的な活性化ができる。地方ごとに活性化の個性的な仕組みを構築して、日本全体が活気づくことが真の「地方創生」で、政策の支援もあり今年は地方創生元年とされる。 

表―1 仏子周辺の人口・世帯の推移
地区 年
平成18年
1月
22年
12月
27年
12月
27年/
18年(%)
仏子 人口
9,258
8,833
8,582
92.7
   世帯
(3,638)
(3,820)
(4,018)
(110.4)
野田 人口
8,780
9,344
9,459
107.7
   世帯
(3,195)
(3,601)
(3,825)
(119.7)
新光 人口
3,490
3,495
3,567
102.2
   世帯
(1,168)
(1,277)
(1,396)
(119.5)
新久 人口
4,426
4,402
4,159
94.0
   世帯
(1,597)
(1,725)
(1,749)
(109.5)
小谷田人口 
6,312
6,156
6,007
95.2
世帯
(2,342)
(2,449)
(2,541)
(108.5)
合計 人口  
32,266
32,230
31,774
98.5
  世帯
(11,940)
(12,872)
(13,529)
(113.3)

  どこまでを「仏子地区」とするかの線引きはむつかしいが、上記の大字区分で見ると、世帯数は子供の独立など核世帯化で、総ての大字で増加している。しかし購買力を大きく左右する人口においては仏子、新久、小谷田といった早くに開発され、すでに宅地造成の余地のないところでは減少に転じている。仏子のばあい約10年(9年11ケ月)でー7.3%だ。あと10年経過すれば平成18年1月に比べれば85.9%の人口になる。14%も消費力が衰えれば、一部の小売業やサービス業が撤退、公共サービスもカットということになりかねず、生活環境は劣化する。これをどう防ぐか?地域活性化の重要なテーマである。

仏子周辺には地域活性化の数々の資源がある。まず自然の面では杉、ヒノキやスギ等が生い茂り、都心を遠望できる加治丘陵、遊歩道や広い河川敷を持ち、野球、グランドゴルフ、バべキュー、花火大会等を楽しめる入間川がある。ゴールデンウイークには30張りものテントのもとで、バーベキューの宴が開かれている。音楽や演劇を楽しめる昔の県繊維工業試験所分館だった文化創造アトリエのアミーゴもある。 

10年前ほどに地元・西武小学校に呼ばれ、3年生のある組で「入間川の美しさ」をしゃべたが、あとで担任の先生は「学級崩壊が世間で問題になっているか、西武小については周辺環境がよいのか、学級崩壊はまったくありません」と言われた。これこそ居住者環境の良さを物語ることで、外部にPRすべきことだ。 

見落としてはいけないのは、古代のアケボノゾウの足跡、メタセコイアの炭化木、海辺に生息する穴ジャコの穴に鉄分が溜まった蛇糞石も発見されている。蛇糞石のネット記事は「仏子のみ」という貴重品だ。

また平安、鎌倉、室町時代に遡って祀られた三輪神社(金子側)、円照寺、高正寺、野田・白髭神社ほかの由緒ある神社・仏閣が多数ある。平安から室町時代に武蔵国を支配した武士団の武蔵9党に結びつく加治氏、金子氏の菩提寺も含まれる。両氏とも滅びたが菩提寺はその繁栄を偲ばせる実に立派なものである。地元の人からは「神社・仏閣など、さして珍しくない」というが、東京などでは、字ごとの「村の鎮守様」はあっても、極めて簡素である。子供時代には境内で野球をし、ボールを屋根や壁にドカン、ドカンと当て、実に罰当たりなことしてきた存在だった。

また明治期以降には、製糸の手織り工場3軒、機械織り工場12軒、染色工場16軒が林立した時代があれば、第二次大戦中には軍の要請で出来た360人を雇用するメリヤス工場もあった。これらの構造物は残されていないが、地元の豊かさを示す白壁の土蔵は野田地区に15蔵ほど、仏子地区に5蔵ほどあり、囲炉裏時代の煙を抜く煙出し楼も仏子に4軒ほどで見ることができる。

 いま川越は埼玉一の観光地だが、5回ほど大火を経験し、最後の大火は1893年(明治26年)だった。町域の1/3に当たる1,300戸が焼失した。大火で残った蔵がヒントとなり、豪商たちは競って白壁の蔵造りを採用した。戦後の一時期は、「蔵造りはヤボだ」とこれをパラペットで隠した時代がある。その後、その重厚さが再評価され、パラッペットを撤去し、さらに近年に電線なども地中に埋め、今日の繁栄へとつなげたのだ。

 新しいものは銀座、新宿、渋谷、池袋に行けば満あふれている。逆の流を創ろうとすれば、それは自然の素晴らしさや、歴史的に見て貴重なものを知ってもらうことだと思う。それは未来を担う地元の子供さんに、誇りを持ってもらうことにも通じる。

当方は50年にわたり、中小スーパーの店舗レイアウト・仕入・陳列・販売企画に至る実務指導を100件、またスーパーの出店のリサーチを北は青森から、南は鹿児島まで全国300地区以上で実施してきた。この際、農村部や都市部の消費者1万人以上とも会ってアンケートを採り(助手も入れ)、顧客の購買心理も研究し、「主婦の食のライフスタイル分析」の論文も書いていきた。農商工業者の活性化の一助となるアイデアも複数準備している。

ともあれ地元の自然、文化、歴史の素晴らしさを外部にも広くPRし、多くの人を散策客として、また定住者として地元に呼び込み、仏子地区のさらなる活性化を計りたいと思う1人である。ぜひ地元の一般居住者、農商工者の皆様のご協力を仰ぎたい次第だ。

平成28年元旦
          仮称「仏子再発見の会」   発起人  近藤 穣
          経営コンサルタント歴50年(中小企業診断士303023)
          H17~22年にかけHP「入間川の自然・人・心」発信者
          元・農協系月刊誌「家の光」「地上」の編集記者