1.名刺の裏に流れる字体で書いたもの
JA系雑誌社「家の光協会」の編集部に勤務していた昭和38年のことだ。正月休みに作家の新田次郎さんと福井県の旅に出た。当時私は27才、新田さんは53才ほど。夜行列車の車中泊を含め4泊3日の旅である。雑誌「家の光」(当時月180万部に近づきつつあり、日本一の部数)の企画ではなく、JAマンや農村エリート向けの「地上」誌(15万部?)の企画だった。top画像
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2022年11月27日日曜日
新田次郎さん(故)と福井県の旅
2022年11月26日土曜日
入間川の筏流しはリスクとロマン
写真:入間川のものではなく、かつ現代において再現したもののようです!
名栗川の上流部の西川材を、入間川―荒川を経て江戸の千住・深川まで運ぶ・・・その主な手段が筏流しであった。筏流しは江戸の中期から、武蔵野線(今の西武池袋線、大正4年開通)が出来た大正の初期まで続けられたようであり、スタート時については正確な記録は残っていないが元禄時代(1688~1703年)というから300年以上前からになる。。
江戸時代、今の東京は急成長をとげ、また大火も頻繁に起き、木材需要はウナギ登りであったはず。トラックや鉄道のない時代、木材の筏流しは廉価で迅速な輸送手段であった。名栗から江戸中心部まで筏であれば4~5日で行け、大火などで需要が急騰したときは、一攫千金のロマンあるチャンス。流すタイミングが問われた。名栗方面は江戸に近い部類で、林業者、筏師ともに筏流しに情熱を注いだはずである。 荒川に入れば川幅も広く、流れもゆるやかになるので、筏をさらにつなぎ合わせ、このため名栗の筏師は川越まで運び、戻ったはずである。
筏1枚は0.9mから1.2mの幅で、長さはまちまちで9~14.5mほど。名栗川の上流部では1枚で、下流部では2枚で流し、水量を見て飯能河原で複数つなぎ合わせる。何枚につなげたかははっきり分からない。埼玉県は県の面積に占める川の面積は日本一だそうだが、名栗川と成木川が合流した入間川となっても、水量が少ない部類の川である。楽々と筏流しができたわけではない。出水は「吉時」とされ、雨上がりの水量の多いときを見て断続的に流したようである。
入間市の黒須当りまでが上流部とされたようで、各所に水をせき止め水田や水車等に流す堰があり、川に竹で編んだすのこ状のものを敷き、このすのこ状の上に魚を誘導し捕る簗がある。これらを筏が壊すことがあり、14地区ほどの当時の市町村が取り決めして、1ケ所ごとに当時の金で3~4践の賦課金が徴収されたようである。 仏子のリバーサイドは昔は水田だったという。そして水車小屋も存在した。これらに水をおくるため、今の中橋上流部に堰を設け分水していたはず。明治時代の1円は今の2万円に相当。4践は今の金で800円ほど。堰や簗が10ケ所あれば8,000円を上納することになる。夜は筏師は寝るので、河川沿いには船宿地区が存在。この費用もかかり、さらに下記のような訴訟費用もかかる。
黒須から下の方にも堰、簗や木製の橋がいくつもあり、これに当たって壊すことが度々おこり、地元が奉行所や裁判所に訴えた記録が多数残されている。この記録については15年ほど前、飯能市の図書館でコピーして保存していたのだが、残念ながら今探しても見当たらない。いずれにしても、筏流しには大きなロマンとともに大きなリスクがあったことが分かる。リスク以上のメリットを得るため、筏の横幅や長さを少々ごまかすことも行われたと記されている。
結局、各種のリスクを考えると、大きな後ろ盾が必要・・・このため筏師は本来、山地を背景とした「材木を扱う経営者」を指し、実際に筏を流す人は「筏乗り」と呼ばれ、18~19才ほどで修行にはいり、1~2年の見習いをし2年で1人前とされた。
2022年11月22日火曜日
武蔵野音大のホール「バッハザール」は仏子の宝物
写真① 中央にパイプオルガン。木の美しさを発揮した舞台に天井と壁。
11月20日(日)に仏子駅南口から5分の武蔵野音楽大学入間キャンバスの大ホール「バッハザール」で、入間市合唱連盟と入間市教育委員会共催の「入間市民合唱祭2022」が開催された。この中身は後で触れるとして、驚いたのはホール「バザール」のすばらしさである。20年仏子に住み、アミーゴや西武公民館などで開催される合唱や演奏会には度々出席もしてきた。だが、「バッハザール」の存在を知らずにきた。加治丘陵の展望台に登るため、音大すぐ脇の急坂を何度か登った際、「急峻な丘に校舎が展開する珍しい学校だな」と興味を持ったものの、中を見るに至らなかった。
写真③ 休憩エリアの彫刻
今回、やっと校門を入ることができ、50mほどの坂を登り「バッハザール」にたどりついた。4人の仲間と建物に入り、そのホールの耀きに接し圧倒された。3階建て以上とも思われる高い天井。天井だけでなく壁も含め木目も見える美しい板が張られている。左右の壁は音を集めるためか階段状にいくつもの凹凸がつくられている。そして中央正面には3階建てに匹敵する形でパイプオルガンがはめ込まれている。舞台といえば、奥は傾斜状に何段かに分かれた床があり、その前には「100人でもドンと来い」の広い平面の舞台がある。1階下がった休憩場風のところには、素晴らしい彫刻が10ほど展示されている。
仏子のキャンパスには武蔵野音楽大学の1,2年生が通っていたのだが、江古田の本校の新設校舎に移りすでに久しい。「バッハザール」は、主人公不在のまませっかくの宝物が、朽果てる存在になりはしないか・・・心配するのは私だけではないはず。音大、入間市、市教育委員会、画商談、楽器演奏者など、関係者が一体になり、「バッハザール」の維持・発展をぜひ検討して欲しいものだ。
11月20日の合唱祭には市内の19の合唱団が参加した。女性コーラスグループが多かったが、混成も1グループ、男性のみも2グループあった。男性グループの「白月」は仏子・元加治地区の歌姫と言える大城みほさんの指揮で、私にも馴染があり、興味を持って聞かせていただいた。豊岡高校音楽部のコーラスは最高の人数で歌ってくれた。いずれにしてもどのグループも衣装まで統一し、歌の方もかなり高いレベルなのに感心した。
写真④ 最大人数の女性コーラス ?
写真⑤ 豊岡高校音楽部の合唱
望むらくは、もう30分でも時間を取り、コーラスの合間に地元優秀バンドの演奏、地元歌手の独唱なども取り入れたアクセントが欲しい。そうすれば、純・観客も増え、コーラスをする人たちの士気もさらに鼓舞されるのでは。
2023年10月7日(土)午後2時開演 第44回 市民コンサート
会場 武蔵野音楽大学 入間キャンパス バッハザール
武蔵野音楽大学管弦楽団 指揮:和田一樹(武蔵野音楽大学講師)
チューバ独奏:加藤 凛太朗(武蔵野音楽大学4年)