入間市博物館はきわめて貴重な展示物を持ち、建物も重厚で立派だし広い敷地を持つ。だが待てよ。市のはずれにあり、交通の便が悪く、イベントがあるときは別として平常日に行くと閑散としている。先日、火曜日に行ったときは120台の駐車場に18台があるのみ。館内を回って途中からは私1人の淋しさ。敷地面積45,045㎡、総工費38億千万円と聞くが、まさに「宝の持ち腐れ」と感じざるを得ない。立地選定の失敗を感じるし、この立地をいまさら変更することは不可能だとすれば、悪い立地を補う工夫をもっと考えるべきである。
写真⓶ 1段下の低地にも広い敷地が広がるー季節ごとの樹木や花の充実を!
Ⅰ. 問題点の整理
ボランティアさんも、多角的な支援をしている様子・・・上記のあと日曜に行くと子供さんに金属の竹馬乗りを指導もしていたし、芝生上でも30人ほどの子供さんが遊んでいた。白い4人かけのベンチも増やされていた。そして来客目当ての移動販売車も4台も並んでいた。「結構、努力し改善もされているのだな」と思った。でも館内を歩くとやはり1人旅で人がいない。なぜだろう?
1.入間市も高度成長期を通じ、東京や埼玉の中心市街地のベット・タウンとして発達し、地元への愛着=郷土愛を持つ人が減っていると考える。・・・しかし転入者もすでに40年、50年経つ人も多く、ここを故郷と考えるようになってきている。
2.また博物館を勉強の場として活用する小・中学生は急減してきている。
3.市のほうも郷土愛を刺激するような、地元の誇りや魅力をPRする日常の努力を欠いている。特産の狭山茶にしても博物館の展示は充実しているが、若い人に受け入れられる茶業の発展策が明確になっていない。
4.文化財の指定やそれを簡易に説明する標識・看板などが地元になく、地元と博物館の展示物が遊離している。
5.博物館の敷地がすこぶる広いが、多面的な活用がされておらず、入館者を増やす仕組みになっていない。
6.博物館は市のはずれでアクセスがすこぶる悪い。バス便は西武、市営バスと2通りあるものの、市域全体から来やすい循環型の体系になってない。
Ⅱ.くり返し来てもらう工夫
上記の1、2に関係するが、関心のある人が減っているとすれば、関心を持つ層の来館頻度を高める必要がある。ところで博物館は、博物館法で「歴史、芸術、民族、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管し、展示して、利用者の教養、調査研究、リクリエーション等に資する施設」と規定されている。その領域はすこぶる広い。領域が広いだけに、①まず1回目では全体をざっとながめ、どんな展示部門があるか知る→ ②次に自分とかグループで勉強したいテーマを決め、何回か通う・・・といったプロセスになる。
膨大な展示物にも関わらず、説明してくれる案内ガイドもいない。今後は必要に応じガイドしてくれる要員を配置するとか(ボランティアという方法もある)、AI時代を反映し、要所要所にボタンを押すとその項目の案内が流れる「自動案内」を設けるべきである。と同時に特に関心のある要素を取り上げ、館員が要点をパソコンで打った印刷物を配置し、自由に持ち帰ってもらうような工夫も必要だ。コピーした資料の持ち帰りでがきれば、次なる研究テーマも発見しやすく来館頻度を高めるのに貢献する。いまのままでは、大量の情報に頭がパンクし、「はて、何と何が展示してあったかな」と記憶もできずに帰る人が多いはず。
Ⅲ.住んでいる地元とのコラボ
上記3、4と関係してくるが、地元に誇りが持てて初めて博物館への興味も湧くものだ。ところが入間市は「地元の誇り」を作って来なかったし、表現していない。私は週3日ほど東武東上線の三芳町、ふじみ野市、富士見市にアルバイトに出掛ける。いずれの関係駅前にも広い整備された広場があり、川越街道につながるメイン道路が整備されている。晴れの日にはその先に富士山が聳え立っている。ふじみ野市のばあい駅前広場に、「人」の字の彫刻があったり、メイン道路に音符の高さに応じた石柱が30ほども並んだり、交差点に小公園があったりと文化的な香りが随所に見られる。
次いで三芳町。入間市は人口147,660、世帯65,878に対し、三芳町は各38,204、16,561と入間の3分の1にも満たないが(令和2年1月現在)、古い農家の屋敷を残し、年配のおばさんが管理に当たり、囲炉裏の火も絶やさない。内部にも上がれる。軒下には切干大根も干してある。旧川越地区に属する街道沿いには「いも街道」の黒看板が立ち、川越市の外側だが十数戸の農家が同じ「川越いも」ののぼりを立て、時に焼き芋も売っている。昔「三富農業」と言われた枯れ葉堆肥の農業先進地で、上富の地名も残っている(中富、下富は所沢市になる)。
写真③ 三芳町の旧・島田家住宅 1804~1829年ころの築。1時寺子屋も開かれていたという。
入間市のばあいどうか。市西半分の観光地図はないし、昔はやった宿場の豊岡の商店街に行っても何の表示もなく、商店街の斜陽化に対しても何の手も差し伸べていない。黒須の商店街も茶まつりの時はにぎわうが、商店街の活性化対策は皆無だ。仏子のほうになると自然」の資源の加治丘陵や入間川沿いの桜や花壇が素晴らしいが、仏子駅に案内看板もない。河原では花火大会もやられるが、アケボノゾウの足跡や蛇噴石という全国的にも貴重なののが埋蔵されているが、その説明看板もない。そのほか本ブログでも紹介しているが、白壁の土蔵群、煙出し楼のある屋敷、板塀の旧家、瓦屋根を持つ門など明治・大正・昭和の大切な建築物も多いが、これをPRする看板もない。機織りの工場も多数あったはずだが、その歴史をしるす看板もない。こんなことで、博物館への興味が湧くだろうか。
仏子のリバーサイド団地のところは昔は田んぼだった。近くに水車小屋もあったというが、博物館に行ってもぼやけた田んぼの写真があるのみ。旧家を何軒か訪ねれば田んぼや水車の鮮明な写真もあるはずだ。発掘努力を欠いているのも事実である。ともあれ現地の現物と博物館の展示とのコラボがされていないため、博物館に対する興味も湧くはずがない。1基の看板設置に30万円かかるとしても、年300万円計上すれば、3年計画では30ケ所もの看板が設置され、こうして史跡の現地と博物館の展示のコラボがあって、初めて市への愛着心も養われるはずである。
Ⅳ.博物館用地全体の活用
上記5と関係するが、敷地全体の有効活用をし集客力を高める余地がある。まず樹木や花の問題がある。すでにサクラも18本、ケヤキも10本ほどあるが、1年のローテイション計画を立て、ナノハナやコスモス、シバザクラ、アジサイなどを加え、絶えず植木や花の魅力での集客もする。本数や広がりを離れ、植物園的に市内の樹木や珍しい樹木を総てを展示するゾーンがあってもよいはず。以上は一段下になった敷地の活用だ。
写真⑤ 広い芝地。日曜には子供さんも多いが、さらなる工夫を!
博物館とフラットな芝生の広場については、自由に遊べる空間を残しつつ、木陰に地元彫刻家の作品を点在させるとか、幼児用の遊具・・・ブランコ、滑り台、砂場などを準備すれば美術客やファミリー客の来館を促すことになるはず。
上記6については、市内の名所・旧跡を巡回するような路線計画ができないかどうかである。入間市駅経由でないと博物館に行けないようでは、地元全域からの集客に無理がある。またデイサービスの送迎のように、電話予約による5~8人程度のグループ見学を促すことも考えるべきだ。時に2往復すれば10~16人の移動も可能になり、主婦グループ、町会グループ、幼稚園・保育所、小・中学校グループ等の反復見学も開拓可能になるのでは。この反復性こそが来館者の倍増、3倍増をもたらす原動力になるはず。