平成29年度は、地方創生が国の施策になる「元年」である。しかし、他所の住民を移住させれば地元に活力が生まれる・・・と言うものではない。地元に職場ほか住むことのメリットがあり、若い世代の人が自然と移住し、子育てが活発に行われ、将来的にも人口が維持されることだ。また観光の場もあって外部の客が流入することだと思う。
住むことによるメリットのある地域とは、子育てがしゃすい施設(保育所や学校、公園等)もさることながら、自然の環境もある。仏子・野田・金子地区には入間川があり、そこには遊歩道やグランドもあって、春にはサクラ、6月にアジサイ、9月には彼岸花、秋には北岸の元加治寄りにコスモスが一杯である。入間川の広い河原で、野球やテニス、ゲートボールなど数々のスポーツができ、8月に祭や花火大会も行なわれる。
入間川の南には加治丘陵が走り、ヒノキやスギがこんもりと茂り、展望台からは金子の茶畑を挟んで、東京の市街地も遠望できる。毎日のジョギングを、丘陵越えと決めている人にも多数で会う。
森林ボラティアのグループが十数組もあって、それぞれの担当林地の下草刈りなども行われている。
自然環境にすこぶる恵まれているのが仏子地区である。学級崩壊が盛んに報道されているとき、地元小学校で「入間川の素晴らしさを話してくれ」と、1時間の授業を担当したことがある。授業のあと担任の先生は、「うちの学校では、周囲の環境がよく、生徒も温和に育ち、学級崩壊とは無縁です」と自慢していた。
古代の遺跡、中世以後の神社・仏閣も多い。地元の方は「あって当たり前。あまり興味がわかない」とする人もいるが、東京育ちの私からするととんでもない。東京の区部に50年住んでいたが、地元3丁に各1つの村の氏神様があるくらい。寺といっても由緒あるものでなく、「墓地付帯の寺」と感じるものだった。金子家とか加治家といった戦国の世を戦い滅びっていった武家の菩提寺・・・そうした物語性を持ってはいない。仏子にはそれがある。
<写真>①瓦屋根の堂々たる門、②トタン屋根の門と長い板塀
「歴史上の物語性」は明治以降にも豊富にある。織物や染色の産業。これらによる繁栄と結びついた白い壁の土蔵、煙出し楼、瓦葺の豪華な門、く長い板塀、敷地内に建てられた小さな稲荷神社・・・こうしたものも消えかけている。市に保存を働き掛け保存されれば、由緒ある神社・仏閣とともに貴重な観光資源にならる。
<写真>③仏子駅5分圏にある煙出し楼、④民家に挟まれた白壁の土蔵
地元のコンビニや食品店ほかの小売店、飲食店もこうした観光資源とドッキングした商いをすれば、もっと流入客を捉えることが可能だ。つまり、近くにある観光資源の案内所(パンフ等を置き)の役割を果たすとともに、観光資源に関係した商品開発をすれば、成果が期待できる。座して何もしないのでは、長期的に「斜陽仏子地区」になってしまう。仏子駅の乗降客数が20年間で35%も減っていることも理解して欲しい。お互い仏子を愛し、その資源を生かしてゆきたいものだ。
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