写真①新久の交差点近くの道路に面した稲荷神社
写真② 新久の住宅地内の稲荷
「稲荷」はイネを表し、もともとは穀物や農業の神様であるが、これが商業や工業にまで拡大解釈され、江戸末期~明治時代には農業・商業・工業の安泰を願う庶民の間に急速に広がったようである。仏子周辺部の野田や神久などに稲荷神社の小祠が多いのも、これらの地区がそれだけ農業や商工業が発達していた証と思われる(神に守って欲しい繁栄があった)。中には赤く塗られていない小祠も結構ある・・・これはどう捉えるべきか分からない。
写真③ 新久の道路に面した空き地の稲荷
写真③ 新久の道路に面した空き地の稲荷
写真④西武図書館-アミーゴ間の駐車場にある稲荷
なお、稲荷神社にはキツネの像も置かれているのが普通だが、稲穂がキツネの尻尾に似ていることから、稲荷神社の警護役に抜擢されたようだ。稲荷神社のお供えとして、コメの俵に似せて油揚げで包んだものが使われ、後に「稲荷寿司」と呼ばれるようになった。三角形の形がキツネの耳に似ているから・・・との説もある。
写真④ 屋敷内の小祠ー稲荷神社ではないはず。新久や元加治にある
写真④ 屋敷内の小祠ー稲荷神社ではないはず。新久や元加治にある
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