いま「地域活性化」や、その結果としての「地方創生」が全国的に叫ばれている。このブログは、仏子地区(野田や金子を含む)をさらに楽しく、住みやすく、外部の人も多く訪れる活力ある町にするためのものである。
写真:金子駅前にある茶畑・加治丘陵の散策案内看板ー自然をどう生かすかも課題
地域活性化や地方創生という言葉は、元総務大臣の増田寛也氏ほかが「今のままでは全国市町村1,742のうちの896が消滅しかねない。東京への一極集中を改め、地域特性を生かし地方に活力をつけるべき」と、「地方消滅」(中公新書)で提言したことで、広がりを見せたと言ってよい。実際は「活性化・創生」という言葉そのものは文中にはない。しかし人口、世帯、年齢別人口、男女構成、出産数など数字を上げ、理詰めでその必要性を説いている。
増田氏は岩手県知事を経て総務大臣も経験し、地方・中央につうじた人だ。私が唯一書いた環境小説「成木川の早太郎」(文芸社―すでに絶版。H12年の静岡県教育委員会の推薦図書になった)を贈ったとき、丁重な礼状をくださったやさしい方でもある。本を贈ったのは某新聞に「環境問題に熱心な7知事」の1人として紹介されたからだ。
「地方活性化」「地方創生」と言っても居住人口の奪い合いや、そのためのアイデア合戦では意味がない。どこかが沈み、どこかが浮上するのでは±ゼロである。各地がそれぞれ①生活環境=豊かな自然、教育、文化・スポーツ、住宅、買い物先等、②就業環境=主婦を含め、地元や近隣に働く場がある、③福祉環境=子育てや介護の予算、施設、見守り等・・・こうしたものが整ってこそ、無理なく居住者が増え、新生児が増え、地域人口が伸びる。そして地域の経済が潤ってこそ、地方の持続的な活性化ができる。地方ごとに活性化の個性的な仕組みを構築して、日本全体が活気づくことが真の「地方創生」で、政策の支援もあり今年は地方創生元年とされる。
表―1 仏子周辺の人口・世帯の推移
地区 年
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平成18年
1月
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22年
12月
|
27年
12月
|
27年/
18年(%)
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仏子 人口
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9,258
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8,833
|
8,582
|
92.7
|
世帯
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(3,638)
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(3,820)
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(4,018)
|
(110.4)
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野田 人口
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8,780
|
9,344
|
9,459
|
107.7
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世帯
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(3,195)
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(3,601)
|
(3,825)
|
(119.7)
|
新光 人口
|
3,490
|
3,495
|
3,567
|
102.2
|
世帯
|
(1,168)
|
(1,277)
|
(1,396)
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(119.5)
|
新久 人口
|
4,426
|
4,402
|
4,159
|
94.0
|
世帯
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(1,597)
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(1,725)
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(1,749)
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(109.5)
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小谷田人口
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6,312
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6,156
|
6,007
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95.2
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世帯
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(2,342)
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(2,449)
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(2,541)
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(108.5)
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合計 人口
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32,266
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32,230
|
31,774
|
98.5
|
世帯
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(11,940)
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(12,872)
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(13,529)
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(113.3)
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どこまでを「仏子地区」とするかの線引きはむつかしいが、上記の大字区分で見ると、世帯数は子供の独立など核世帯化で、総ての大字で増加している。しかし購買力を大きく左右する人口においては仏子、新久、小谷田といった早くに開発され、すでに宅地造成の余地のないところでは減少に転じている。仏子のばあい約10年(9年11ケ月)でー7.3%だ。あと10年経過すれば平成18年1月に比べれば85.9%の人口になる。14%も消費力が衰えれば、一部の小売業やサービス業が撤退、公共サービスもカットということになりかねず、生活環境は劣化する。これをどう防ぐか?地域活性化の重要なテーマである。
仏子周辺には地域活性化の数々の資源がある。まず自然の面では杉、ヒノキやスギ等が生い茂り、都心を遠望できる加治丘陵、遊歩道や広い河川敷を持ち、野球、グランドゴルフ、バべキュー、花火大会等を楽しめる入間川がある。ゴールデンウイークには30張りものテントのもとで、バーベキューの宴が開かれている。音楽や演劇を楽しめる昔の県繊維工業試験所分館だった文化創造アトリエのアミーゴもある。
10年前ほどに地元・西武小学校に呼ばれ、3年生のある組で「入間川の美しさ」をしゃべたが、あとで担任の先生は「学級崩壊が世間で問題になっているか、西武小については周辺環境がよいのか、学級崩壊はまったくありません」と言われた。これこそ居住者環境の良さを物語ることで、外部にPRすべきことだ。
見落としてはいけないのは、古代のアケボノゾウの足跡、メタセコイアの炭化木、海辺に生息する穴ジャコの穴に鉄分が溜まった蛇糞石も発見されている。蛇糞石のネット記事は「仏子のみ」という貴重品だ。
また平安、鎌倉、室町時代に遡って祀られた三輪神社(金子側)、円照寺、高正寺、野田・白髭神社ほかの由緒ある神社・仏閣が多数ある。平安から室町時代に武蔵国を支配した武士団の武蔵9党に結びつく加治氏、金子氏の菩提寺も含まれる。両氏とも滅びたが菩提寺はその繁栄を偲ばせる実に立派なものである。地元の人からは「神社・仏閣など、さして珍しくない」というが、東京などでは、字ごとの「村の鎮守様」はあっても、極めて簡素である。子供時代には境内で野球をし、ボールを屋根や壁にドカン、ドカンと当て、実に罰当たりなことしてきた存在だった。
また明治期以降には、製糸の手織り工場3軒、機械織り工場12軒、染色工場16軒が林立した時代があれば、第二次大戦中には軍の要請で出来た360人を雇用するメリヤス工場もあった。これらの構造物は残されていないが、地元の豊かさを示す白壁の土蔵は野田地区に15蔵ほど、仏子地区に5蔵ほどあり、囲炉裏時代の煙を抜く煙出し楼も仏子に4軒ほどで見ることができる。
いま川越は埼玉一の観光地だが、5回ほど大火を経験し、最後の大火は1893年(明治26年)だった。町域の1/3に当たる1,300戸が焼失した。大火で残った蔵がヒントとなり、豪商たちは競って白壁の蔵造りを採用した。戦後の一時期は、「蔵造りはヤボだ」とこれをパラペットで隠した時代がある。その後、その重厚さが再評価され、パラッペットを撤去し、さらに近年に電線なども地中に埋め、今日の繁栄へとつなげたのだ。
新しいものは銀座、新宿、渋谷、池袋に行けば満あふれている。逆の流を創ろうとすれば、それは自然の素晴らしさや、歴史的に見て貴重なものを知ってもらうことだと思う。それは未来を担う地元の子供さんに、誇りを持ってもらうことにも通じる。
当方は50年にわたり、中小スーパーの店舗レイアウト・仕入・陳列・販売企画に至る実務指導を100件、またスーパーの出店のリサーチを北は青森から、南は鹿児島まで全国300地区以上で実施してきた。この際、農村部や都市部の消費者1万人以上とも会ってアンケートを採り(助手も入れ)、顧客の購買心理も研究し、「主婦の食のライフスタイル分析」の論文も書いていきた。農商工業者の活性化の一助となるアイデアも複数準備している。
ともあれ地元の自然、文化、歴史の素晴らしさを外部にも広くPRし、多くの人を散策客として、また定住者として地元に呼び込み、仏子地区のさらなる活性化を計りたいと思う1人である。ぜひ地元の一般居住者、農商工者の皆様のご協力を仰ぎたい次第だ。
平成28年元旦
仮称「仏子再発見の会」 発起人 近藤 穣
経営コンサルタント歴50年(中小企業診断士303023)
H17~22年にかけHP「入間川の自然・人・心」発信者
元・農協系月刊誌「家の光」「地上」の編集記者