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2019年10月16日水曜日

台風19号(令和元年)ー入間川(仏子)景観を半壊

 入間川の仏子付近の北河原は、段丘状になっており、通常の河原より1.5mほど高いところ(河川敷の一部)にテニスコートや多種の競技のできる広い運動場がある。さらに1.5mほど高いところに住宅があり、まず洪水の害が起きにくい。私の見立て通りで19号(2019年)台風の濁流は、中橋寄りで運動場のはずれギリギリまで押し寄せたが、そこで止まっている。これは初めの2枚の写真でも明らかである。
写真① 西武公民館前のグランド一杯に水が流れた跡

写真⓶ 西武公民館の土手下に流れてきたゴミの集積が帯状に続く

 だが、上橋寄り(元加治寄り)のグランド部分は、堰越えで水の勢いが強いためか、徹底的に破壊されている。花壇やコスモスが美しかった川岸に近い半分は表土がはがれている。そこに直径30cm前後の石がゴロゴロと積みかさなり、時にシルト層が割れて流れついた1mもの褐色の石もある。

写真③ 元加治駅寄りのグランドの半分は土が流れ、石だらけ 

 










写真④ 元加治駅方向からグランドに降りる階段寄りの荒れた光景












   


 象の足跡が発見された当たりの破壊度は特に高く、シルト層の1.5mほどの段丘が大幅に削られ、昔の大木の2mほどの切株や立ち木の跡と思える20cmほどの穴も多数顔を出している。像の足跡とも思える文様も散見される。

写真⑤ 岸辺のシルト層の段丘が大幅に削られ,川岸から遠のく













写真⑥ シルト(砂と粘土)の2mもある塊が漂着

写真⑦ メタセコイヤとおぼしき株が露出・・・炭化して黒い












 100mほど上流に高さ3mほど?の堰堤(えんてい)があり、ここは川幅も最も狭く、濁流が横と下から圧縮され、放水状になって岸辺や河川敷を深くえぐりとったのではないか。

   桜の遊歩道のある南側の河川敷も3本ほどあったクルミの木ほかの樹木がきれいさっぱり流されなにもない平地になってしまった。今までとは異なる姿になるが、自然の新しい景観をとりもどすには5~10年もの歳月がかかるのではないか。私が勝手に「入間川のイギリス海岸(宮沢賢治)」と命名した景観を復活させるには、市や河川管理者の支援も必要になるはず。

パート2 19号台風の爪痕
仏子駅から金子側に抜ける途中が、新久である。この道路沿いで崖崩れが発生した。いまのところ崖くずれはここのみか?幸い家屋等の損壊はない様子。
 

2020年10月1日 追記
 元加治方面の破壊された河川敷に、ダンプカーで膨大な土が運び込まれ、石がむきだしだった運動場のほとんどは平らに補修されつつあった。ただ、次に来る大型台風でまた同じようにならないか?と心配な面もある。上流のダムの放水量も配慮し、すぐ近くの石堤の構造も改善する必要がありそうだ。

2019年10月2日水曜日

平社員から社長まで必読の書-「仕事と心の流儀」


1.通勤は社長だが電車で読書
 皆さん承知のことと思うが、丹羽宇一郎さんは伊藤忠商事の社長、会長も務め、中国大使にもなった方。丹羽さんは商社マンの入口でニューヨーク支店に勤務、一介のサラリーマンから数々の試練を経て社長・会長・大使にまで登りつめた人である。その金言集の「仕事と心の流儀」は、企業マンだけでなく、広く働く人の参考になるはず。私は丹羽さんが中国大使になる前、氏が乞われてNPO・日本プロ農業機構(JPAO)の理事長を兼務していたとき、そこの会員であった。丹羽さんを遠くから見てきたが、その温かさに惚れた人間である。 
  
 丹羽さんのすごさは、社長になっても電車通勤をし、庶民感覚を日々吸収。かつ若いころは座れる始発駅を選んで乗り、車中1時間を読書に充ててきた。本の要点をノートに記録し、かつ本の重要ページに印もした、ものすごい読書家である。J-PAOの総会を下町の公民館みたいなところで実施しても、気楽に来てくれる庶民感覚の持ち主でもある。

広範囲な知識と実務経験のもとに書かれたこの本「仕事と心の流儀」(講談社860円)は、金言の連続である。一介の職員、課長ほかの管理職、社長等それぞれの立場での「あるべき生き方」が、愛情あふれる言葉で書かれている。

2.努力すれば人は鍛えられ強くなる
 まず最初の金言が、「絶体絶命の状況でも努力を続けることで、人は鍛えられ、強くなる」。氏は伊藤忠入社6年目にアメリカに駐在し、さらに5~6年目頃に大豆の相場取引で買い増しをし、天候異変で豊作になり相場下落・・・大失敗の状況になり首になるかと思われた。だが現地視察や気象情報の収集などとことん勉強し、最終的に儲かる結果をもたらした。つまり干ばつ・高騰予測―雨多く豊作・下落予測―最終収穫期の霜・高騰。このつらい試練で人間的力量も増した。
 
その他の金言のごく一部を紹介しよう。実際に本書を読めば真意が分かる。
「勝者と敗者を分けるのは、心の強さと平常心」
「失敗のない優等生ほど怖ろしいものはない。小さい失敗をたくさんせよ」
「夢を持ちたいなら、自分の頭で考え、自分で行動しろ」
「能力や適性に大差はないー開花するかどうかは、どれだけ努力したかの違いだけだ」
「部下を育てる3原則は、認める、任せる、要所でほめるだ」
「情熱が人を動かし、お金も動かす」
「良心に忠実に生きよ。それが会社を救い、社会を救う」
「誰にだってチャンスはある。でも勉強しないとチャンスは掴めない」
「守りと攻めを同時にやれ」
  
追伸 大学生・大学院生6,000人のアンケート調査によれば、「就職したい企業」の1位は伊藤忠商事とのこと。やはり丹羽さんが深く経営に関わったためではないか。

2019年9月11日水曜日

入間市西武地区の災害マップは?

 入間市は15号台風(令和元年9月)の影響もほとんどなく、天候的には恵まれた地区・・・というのが、私の評価である。「天候は西からやってくる」と言われるその西側に奥多摩山系や秩父山系があり、防いでくれるからと見ている。
 
 それでも防災意識を持ち、「入間市防災マップ」(全体と一部地区別)くらいはネット検索ですぐ出てくるのでよく見ておくにこさない。

3つほどの地図による図解が出ているが、その1は「市内の地震分布」である。仮に立川断層が動くと、入間市に最も大きな被害をもたらすとされる。地質的な差で震度に差がでるためか、立川断層でマグニチュード7.4の地震が起きた場合、入間市ではところにより震度6強か6弱の震度になる。震度6強のエリアは金子側を走る63号線の南と、川越・入間線(8号)-16号―狭山下宮寺線―179号線の北側の間に挟まれたエリアに90%集中している。その他のエリアとしては飛び地的に西武中学南手が含まれる。その他の地域は震度6弱だ。

震度6強とは、這わないと動けない。飛ばされることもある。固定していない家具のほとんどが移動したり倒れたりする。耐震性の弱い木造建物は傾くものや倒れるものが多くなる。大きい地割れも起き、大規模な地滑りを起こすこともある。震度6弱では立っていることが困難になる。固定していない家具の大半が移動し、倒れるものもある。ドアが開かなくなることもある。壁のタイルやガラスが崩れ落ちることもある。耐震性の低い木造建築では建物が傾いたり、倒れるものもある。
・・・6弱でも大けがや命に係わる事故が十分起きると見るべきだ。この後に火災が起きればなおのこと被害が拡大する。家具の固定化や電源のブレーカーを自動的に切る装置の設置(2,000~3,000円―別掲)の設置も必須である。

 第2は水害や土砂災害警戒マップで、水害については西武地区のばあい、幸い入間川沿岸は何段もの段丘になっており、今の流れの狭い一段めの河原に続き、運動場に使われる広い河川敷がある。これは下流の狭山市地区にはいっても同様。このため平時の流れの何百倍の流量になっても運動場を水面下にするだけで、住宅地の浸水はまず考えられない。このため水害マップは西武地区を限らず色づけがない(災害がない)。
(写真上ーこれは2019年の台風19号が通り過ぎた10月13日朝7時ころの入間川の様子です。平素の河原一杯まで濁流が流れ、一段高い西武公民館前のグランドの一部に、広い水たまりができているのが分かります。グランドまで水が上がったのは確かですが、また一段上にある住宅地は安泰でした。(「入間市15万人避難地域」のテロップがテレビに流れたように思いますが、段丘を考えると少々疑問のあるテロップだったと思いましたが、上流の有間ダムが満杯になり放流し、このための増水分を考えた避難勧告だったようだ)・・・こ部分は追伸

問題は土砂崩れで、西武地区では西武線と196号線(県道富岡・入間線)とが交差する仏子駅から西に100mほどの踏切から、飯能に入るまでの1km強の加地丘陵沿いの傾斜面が主たる土砂崩れ警戒地区になっている。これとやや離れた警戒地区は踏切から新久方面に抜ける道筋に分布。あとは仏子駅から299号バイパスに抜ける中間地区にある。いずれにしても加地丘陵の北側の崖の多いところが主な危険地区である。

金子側についていえば、63号線(青梅入間線)の新久にある入間台団地が切れた当りから入間市の西はずれまでの加治丘陵南斜面沿いが危険地区である・・・土砂災害は地震でも豪雨でも起きる。ともに注意が必要になる。

2019年9月6日金曜日

防災訓練への参加促進(入間発)―呼掛け不足!!


1.参加者が少なければ役立たない
 9月1日は防災の日。どこの自治会でも消防署の支援を得て消火、避難、救助、炊き出しなど豊富なメニューで訓練をしたはず。だがどこも地域世帯の20~30%しか参加していないのでは(私はいつも参加人数を数えてみている)。これでは実際の災害が発生したとき、役に立つか・・・と、いつも疑問に思う1人である。

 最近は自治会に加入しない家庭も増えているが、災害は加入の有無に関係せず襲ってくる。仮に避難、救助と言う事態が起きたら、自治会員・非会員の区別はしてられない。このため非自治会員にも訓練参加を促すパンフくらいは配り、互助の面から自治会への加入を促すべきだろう。

2.ハンディ・メガホンの活用
 問題は自治会加入者そのものの訓練参加も20~30%と少ないことだ。もっと遠慮なく訓練を知らせ、参加を促進しないと、災害時の混乱は明らかである。自由な意思を尊重するあまり、騒がしい呼びかけを控えるきらいがある。最低でも50%以上が参加しなければ、実際の地震や水害等に有効とは言えないはずだ。それにはどうするか。50世帯に1台くらいの割合でハンディ・メガホンと必要電池を配置すべきだ。メガホンを通し大声で訓練参加を呼び掛けることだ。地域ごとにある有線放送でも呼びかける。生死を分ける時の防災訓練・・・これを「うるさい」と批判するほうがおかしい。

 ハンディ・メガホン(電気で声を拡大)は、実際に災害が発生した際の避難誘導や弱者(老人・病人等)の個別確認作業にも役立つ。混乱時には大声を出しても、普通せいぜい周辺にいる10人くらいにしか正確に伝わらない。メガホンを借りればすぐ2倍、3倍の人にも伝達できる。それだけでなく、戸別の安否確認作業の場合に家の中まで声が届く。気を失っている人も、時にマイクの大声で意識を取り戻すこともある。

 ハンディ・メガホンはマイク内臓か別付きのものがあるが、ネットで見る限り3,000~5,000円程度のものも多く、大きな負担にはならない。
 
3.安否確認の資料があるのか?
 地齋に災害がおきれば、各戸の安否確認が必須である。ある団地に住む友人は5階建ての玄関が向き合う10戸の班長で、今回の防災訓練で10戸の安否確認をして、報告をしたとのこと。「まだ団地に移って日がたっていない。どんな人が住んでいるか、年寄か中年か若手かもわからない。こうしたことについて、プライバシー保持の問題があるだろうが、何らかの資料がないと要介護者、老人の宅を優先して尋ねるということもできない」とこぼしていた。
 
 自治会とか管理組合(団地)でアンケート調査をし、世帯人員、世帯主の年齢、要介護者が居るか否かの資料を持っている場合が多い。しかしプライバシー保護の面から、自治会や団地管理組合の事務所金庫に保管され、組織末端の班長さんなどや防災担当者が即使用できるよう、資料を渡していない例がほとんどではないか。ために緊急時の役に立たない。

 提案したいのは、末端A班、B班があるとすれば(それぞれ10戸。計20戸ほど)ずつの名前、世帯人員、世帯主年齢、要介護人員くらいに絞った文章を封筒に入れ、毎年各班長さんに渡し、手帳等にメモしてもらい、その後文章は封筒に戻し、会議の場でホチキス止めにして各自の家で保管。他人に見せたり、内容を他所に知らせることを厳禁とする

また各戸で玄関脇に記号で表示しても良いとの了解があれば、1人〇、2人◎、3人△、4人□・・・といった記号で表示する。要介護者が居れば●を書き加える・・・こんな工夫があれば、緊急時の安否確認もスムーズになり、AB2班で1対にしておけば片方の班長が留守の時でも補いがつく。プライバシーな情報も10戸、20戸の限られた分しかなく、仮に悪意の第3者に渡っても利用価値がない。

4.通電火災への対応が抜けている
 阪神・淡路大震災のときは、2次的な火災の被害が膨大だった。そして火災原因の約60%が通電火災・・・電源ブレーイカーを切らずに逃げたため、一度停電していたものが通電すると、電気器具が動きだし倒れた家財道具などに火がつき火災に至るものだ。
写真 電源スイッチを鉄の球の重さで切る(ネットより)

 防災訓練では、「家から離れる際、できれば電源ブレーカーを切る」「これが不可能な場合が多いので、振動で錘(おもり)の球が滑り落ち、自動的にブレイカーが切れる道具を取り付けておく」といった指示がなされるべきである。この道具は「スイッチ断ボール」という商品名で、大きなホームセンターで2,000~3,000円ほどで売られている。取り付けは簡単な部類。電源ブレイカーのつまみにキャップ状のものをかぶせ、これが錘となる鉄球と結ばれ、鉄球は別に簡単な皿の上に置かれ、振動があれば転げ落ち、ブレカーのつまみを引き下げ電流を切る仕組み。高齢者はセッティングを助けてもらうべきだが、踏み台があれば自分で取り付けも可能な品である。

 地震で家や火災道具が破壊されるのは当然としても、火災では一切を失い、近所にモ被害が及びやす。ぜひ防災に付け加えるべき事項である。 
 
金子、仏子、野田とうの防災マップについては、別項で紹介。


2019年7月31日水曜日

ベンリー入間鍵山店ー電球交換等も便利屋さん


 週3回、Benryと書かれた赤看板の前をとおり、気になる存在だった。最近、我が家にチラシも入り、「どうしても話を聞いてみたい」とベンリー入間鍵山店(鍵山1-7-12)を訪ねた。サービス内容が家のリホームや壁他のクリーニング、引っ越しの手伝い、エアコンや水回りの修繕、庭木の手入や雑草抜き・・・実に多彩である。「皆さんの困ったを解決します」を標榜しており、総てをプロ的にできるのだろうか・・・との疑問もあって、訪問させてもらった。
写真 ベンリー入間鍵山店
 店長の和田充央さんは、折り目正しく気さくな方。「この店長の店なら信頼できる」と皆さんも思うはず。ベンリーはセブンイレブンなどコンビニと同様にフランチャイズ。本社(フランチャイザー)は愛知県清州市にあり、各地に住む建築業者や内装業者、引っ越し業者、植木他に庭の手入業者などが、チェーンに加入(フランチャイジー)になり、地域の店のオーナーとして営業している。今、全国に230店のチェーン店がある。 

名古屋にトレーニングセンターがあり、新入社員はここで2ケ月の大工、塗装、庭木の手入など、基本的な現場研修を受ける。新入社員は地元の会社に戻り、先輩の指導もうけながらさらに技術を磨く。鍵山店だけで約10人のスタッフがおり、うち5人は事務もとるが、現場作業にも当たる。さらに地域店ごとに、地元の専門業者(ガス。水道等?)を協力業者に指定しており、「なんでもサポート」を入間鍵山店の内内だけで可能になる体制を敷いている。









 





    鍵山店自身も親会社は建築業で、福祉関係の施設にも関係し、和田店長もこの福祉施設にも関係してきて、「高齢化社会が進むなか、お年寄りの広いニーズに応えたい」とベンリーの仕事に進んで入った。いま多い仕事はハウスクリーニング、庭木の枝切りや除草などだが、夏にはクラ―の掃除・修理などが多いはず。「安かろう悪かろう」ではなく、仕事の質を重視し、適正な見積もりを出し仕事に掛かる。電灯や各種部品交換も、単価が決めてあるものは単価表にしたがい処理する。

 いずれにしても「困っこと」があれば、やってもらえるか電話してみることが肝心。
年中無休で見積もりは無料、入間鍵山店の無料電話は0120-730-577 固定電話は04-2901-8800 FAXは04-2901-8801

令和5年9月26日 
 玄関と廊下の照明が同時にチカチカ。玄関の照明なしには出入りに不便。客も迎えられない。前日夕方電球交換のお願いをし、翌朝10時に訪問。そのあと2つの電球をHCまで仕入れに行き、交換完了は12時。経費は税込み約1万1,550円(うち材料費含む)。迅速な対応であった。

2019年6月18日火曜日

ジョンソンタウン(入間市)のネコの共同飼育

irumasi    庭囲いのないアメリカンスタイルの白ペンキの90戸近い住宅。50店ほどの各種商店もあり、異国情緒豊かなミニ・タウンが入間市のジョンソンタウン。ここでは犬連れも歓迎の店が多いが、ネコにも注目する必要がある。
写真① デズニーランド風のネコ小屋










写真② 首輪は共同飼育ネコの証










ネコを住民全体で育てているのだから、聞いてびっくり。住宅の軒下を見ると犬が入るには小さすぎる小屋が多数散在している。ネコ小屋なのだ。朝行くと、首輪をつけたネコが日向ぼっこをしている。草むしりをしている奥さんに聞くと、ネコはタウン全体で飼っているそうだ。首輪もタウン共有ネコの証。首輪を付けていないとノラ扱いされ、持っていかれる。これを防ぐための首輪だそうだ。
写真③ ジョンソンタウン風のネコ小屋









写真④ 木陰に合わせて

写真⑤ 郵便ポスト風のネコ小屋







原則、個人所有のネコはいないようで、夜間は庭にある小屋で寝る様子。だいたいネコごとの小屋が決まっているようだが、恋をすれば2匹一緒に・・・とうこともあるのでは。共有だから、住民の多くの人が餌を与えていることになる。住民の方々のやさしさが伝わってくる・・・世にも珍しい共同飼育だ。

  昼間行っても、木陰や自動車の陰などで寝ているのか、なかなかネコに出会えないと思ってください。


2019年5月10日金曜日

入間茶祭りー人・人、屋台・屋台で大盛況


 5月3日(金)は第41回の入間茶祭りだった。私が週3回通る鍵山1~2丁目にかけての道路600mは完全に交通が遮断され、9:15~17:00は祭り一色で人・人で埋め尽くされていた。絶対人数は万燈祭り劣るだろうが、人の密度は劣らない賑わいだ。屋台が道の両側にビッシリと並び、しばし馬鹿になってその数を数えたら約140店ほどあった。

    焼きそばやジュース類を売る店が目立ったが、フリーマーケットもあれば、子供さんが遊べる屋台も多数。中央のステージでは吹奏楽団や太鼓の演奏、ギタリストの方のライブもあり、若者も多く集える祭になっているのがすばらしい。肝心のお茶については、お茶まき、茶のつかみ取り、野点も行われたが、若者のお茶離れを少しでも是正するため、抹茶を原料とするボトル飲料、アイスクリーム、ケーキ、ようかん、クッキーなどオールスターを集め、大々的に宣伝する場があってもよいのではないか。

    
    なお茶祭りに合わせ、黒須で営業されていた「入間市指定文化財・旧黒須銀行」の建物(市に寄付されたもの)や繁田醤油の建物の一部もこの日、公開されていた。












左:旧・黒須銀行    
右:繁田醤油の巨大な醤油樽






 明治33年、豊岡町大字黒須(現在の宮前町)に、道徳を持って勤倹貯蓄の基礎つくる金融共済組織「黒須相助組合」を母体に株式会社黒須銀行が設立された。地域の基幹産業である製糸や機業などへの融資で業績をのばし、所沢の出張所、川越、入間川、松山の支所を置くまで発展。一時は県下3位の銀行になったが、経営の失敗や政府の1県1行方針のため、大正9年に武州銀行に合併された。現在の埼玉りそな銀行の源流の1つである。写真の建物は明治42年に黒須銀行本店として建てられたもの。

 日本資本主義の基礎を拓いき、近い将来一万円札をかざる福沢栄一も顧問をつとめたことがあり、「経済道徳合一説」を唱えた渋沢氏の精神に合致した活動をしたため、氏から「道徳銀行」と書かれた額を創立15周年に贈られている。(市の案内パンフより)