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2016年10月19日水曜日

大城みほさん他の抒情歌演奏会は満席!


10月16日(日)PM2時から文化創造アトリエのアミーゴでソプラノ歌手・大城みほさん、アコーディオン・大田知美さん、ハーモニカ・崎元譲氏による「我が心のフォスター~日本の抒情歌」のコンサートが開催された。2,000円の有料コンサートだったが、100人以上が押し掛け満席。

<写真>左から崎元さん、大城さん、大田さん。後ろの窓の外を大城さんが進む(月の沙漠)

これも当然である。大城さんは武蔵野音大声楽科を卒業し、入間市に住み地元の町内会等の演奏会も気楽に引き受け、主催する歌声では飛んだり跳ねたりの指導もする・・・つまり地域密着の音楽活動を牽引し、それでいて世界7ケ国の歌を原語で歌うという素晴らしい歌い手。

大田さんも、10歳からアコーディオンを始め、ドイツに渡りデトモルト音大のアコーディオン教育学科を卒業後、フォルクヴァンク音楽大に学び、同大学のソリストコースを主席で卒協した方。

崎元譲さんはドイツのトロシンゲン市立音楽院を卒業された日本ハーモニカ界の第一人者。NHK交響楽団、日本フィルなどのオーケストラと共演している。
・・・以上のとおりそうそうたる一流メンバーの演奏会であった。

第1部はハーモニカとアコーディオンによるフフォスターの名曲集。「恋人よ窓を開け」「草競馬」「スワニー河」「金髪のジェニー」「夢見る人」「懐かしきケンタッキーの我が家」と馴染みのある曲がずらり。

 第2部は、とハーモニカ、アコーディオンの演奏の組み合わせ、大城さんの美声を聞くもの。曲は、観客全員が一度は歌ったことのある「月の沙漠」「早春賦」「この道」「里の秋」「赤とんぼ」「待ちぼうけ」「故郷」。月の沙漠では、大城さんはアミーゴ会場の窓の外側をラクダの背に乗って進むようにして歌い、その声は会場にもとどいたから素晴らしい。「果たして最後に会場の中に入ってくるのか」と皆の興味を掻き立てる演出だったが、お茶目な大城さんの一面に、一層魅せられた次第である。

2016年10月17日月曜日

河川敷(野田側)の運動場にコスモス群生!

 野田地区にはコスモスの花・・・それもピンク、濃いい黄色、薄い黄色、白の4色が咲き乱れる名所がある。元加治駅から近い入間川の河原の運動場である。川沿いの南側と、運動場を挟んだ北側のはずれだ。昔と違い群生地をレンガで囲んだせいか、やや「花が乱舞する」といった趣を欠き、本数も減ってしまったのが残念である。


10年ほど前のことだが、「河原の コスモス少女 包みおり」の立て札があり、その風情に感動したことがある。もっと自然のままであって欲しいが、貴重な群生地には違いない。

<写真>白とピンクのみで、失礼します 

目下、道路端にもコスモスが進出しているものの、黄色ばかりの例が多い。やはり3~4色が乱れ咲いていないとコスモスらしさがない。雨の中、河原までで向き4色を収集してきた・・・「種がこぼれ来年は4色に」の期待を込め花壇に植えた。

2016年9月28日水曜日

仏子エリアの買い物事情-選択性はすこぶる良!


1.食品・雑貨の商圏はサッカ―ボウル! 

過去に関東から九州の鹿児島まで、20都府県で350地区のマーケットリサーチ(スーパーを出すための)をした。リサーチの際約1万2,000人の主婦に会い、買い物の動機、行く店、行く店の頻度や評判なども聞き、この顧客調査をもとに「主婦の食のライフスタイル分析」もし(ネットで文字検索すれば参照可能)、主婦の買い物動向を真摯に研究してきた。ここではリサーチャーの立場から「仏子エリアの買い物環境」について評価をしてみたい。(近藤)

 結論から言えば、仏子エリアには沢山の中堅スーパー、ドラッグストア、コンビニもあって、これから結婚する若者、あるいは若い夫婦にとって、買い物面ですこぶる恵まれたエリアである。GMS(ジェネラル・マーチャンヂジング・ストア―)と呼ばれる大型スーパーは地元にない。だがGMSは、大型専門店の台頭でひん死寸前の店が多く、「なくて幸い」とも言える・・・閉店という事態になれば、その穴はとうてい埋まらないからだ。

 ところで食品、花き、雑貨、軽衣料までが、スーパーが扱う商品の基本領域である。これらを扱う専門店やドラッグストア、ホームセンターも商圏の仲間であり時にライバルであるが、それぞれ個性があれば買い物の選択性が高くなり、住民にとってはハッピーである。

日常品の商圏は、単純化すると自分の住む地点を中心に考え、外周部にある「頼りになるスーパー」をつなぐ線の内側と見てよい。この線の外側で買い物するばあい、これを「流出」と呼ぶ。流出の頻度は大幅に低下し、せいぜい買い物全体の15%(週1回)ほどに過ぎない。

 仮に仏子エリアのヘソに当たるヤオコーの位置に住んでいたばあい、周囲の頼れる店を上げると新久の「さえき食品館=SAEKI」、春日町の「スーパーバリュー」、野田の「ベルク」、飯能市側の「アルプス」新光、雑貨も豊富なHCの「カインズ」となる。新久方向、新光方向は越えた先にスーパーがないので、2kmまでの円形とし、その他は紹介した5つの店舗を直線でつなぐ線となる。全体は一部丸みを持った4角形になる。

 住所が2kmと動けば、「頼りになるスーパー」も異なり、別の四角形や多角形が商圏になる。あたかもサッカーボールのつなぎのように、四角形、多角形の商圏がつながり、こんどは「入間商勢圏」といった、もっと大きな区分に移行する。仏子商圏のばあい商店の集中度が高いのは仏子駅からヤオコーにかけてのため、上記の線の内側の人はほぼ同じ商圏を共有していることになる。ただし、線内のはずれの人は選択できる店は限られ、やや不便になり、他地区への流出も増える。

2.仏子エリアのスーパー他
 2kmの円と言ったが、8方向で測った平均商圏半径は、徒歩・自転車中心の東京下町で750m、モータリゼーションの進んだ長野・群馬では2.5kmほどになる。今回は1.75kmほどと見てよい。平坦地だと自転車でも2km移動するが、仏子エリアでは坂も多く、車が3分の2くらいにはなるのではないか。

 仏子商圏の目立った中堅スーパーについて、個性を知るため企業概況まで含めて紹介すると・・・
    ヤオコー 埼玉の82店舗を中心に関東地区に144店展開。鮮度・品質と提供技術を重視、売上高はイオンの7分の1に過ぎないのに、営業利益は逆に1.6倍もある。このため。全国のスーパーから高い評価を受けている優良チェーンだ。仏子店はスーパーとしては標準サイズで、異業種集積としてエリアにない書籍他のツタヤを集積しているのが個性。最近改装し、駐車場の拡大もした。

    サイキ食品館 スーパーとしてはやや小型の店を東京に13店、埼玉に1店持つ。小型だけに生鮮重視型で、かつ生鮮品は繊度も良く安い。100円台、200円台の肉・魚のパックも結構ある。ま人材育成に力を入れ、細やかなサービスを実施している。小谷田店のばあい、特異な100ショップ「セリア」が目の前にある。

    スーパーバリュウ 埼玉の大安売りのディスカウント・ストアの雄はロジャースボールと旧・大川ホームセンター。この大川の流れに位置するのがスーパーバリューである。スーパーとホームセンターが一体になったかなりの廣さの店舗を埼玉に16店、東京に11店を展開。入間春日町店で見ると肉・魚など生鮮は、ジャンボ・パックだけだと思いきに200円台、300円台で買える品も多数ある。レジ12台で広さや販売力が分かろう。 

    ベルク 広い売り場面性、広い駐車場を持ち、ある程度の安さを採用。広域から浅く引くのが特徴。埼玉の67店舗を中心に関東に計96店を展開。野田店はマツモトキヨシ、衣料の「しまむら」、ベビー・子供用品の「バースデー」、100円ショップのキャンドゥ、1,000円床屋と5業態を配し、地域一番の異業種の集積をしている。

    アルプス 繊度・品質型で特に青果物が良いとされるチェーンだ。八王子を中心に東京、神奈川、埼玉各県の西部に29店舗を展開。ベルク並みに売り場面積は一回り広い。新光店は売り場面積が地域内で最も広く、店内にファースト・フードの店(一口茶屋)、衣料専門店もある。異業種集積もマツモトキヨシ、西松屋、100円ショップのダイソー、カットの店と多い部類。マツモトやダイソーは売り場が広く、品揃えが豊富だ。

 ⓺カインズ 群馬出身のGMSに近い規模で、かつ安さのパンチ力を持つベイシアの兄弟会社。
  四国を除く全国にチェーン展開。

3.専門店やコンビニ
 ベイカリーについては、それぞれのスーパーにインストアBKがあるが、仏子駅北口近くには人気のマシューやベルク北東寄りに石窯パン工房もある。洋菓子店は少ないが、元加治駅付近に美味品を売るロンシャンがある。生鮮3品の店は特に少ないが、元加治駅前に野菜・果物の安い丸八青果がある。また精肉店としては仏子駅から西に3分ほどのところの、金子に向かう交差点近くに斧澤精肉店がある(新規・ファミリーマート前)。入間川岸辺や家庭でのバーベキューのため肉の供給だけでなく、バーベキュー道具も貸し出してくれる。

    雑貨についてはドラッグストアが安いのが普通(近年はどこも食品・菓子にも力が入っている)。ベルクやアルプス付帯のマツモトキヨシ以外にも地域密着型のバイゴー、薬の分野が強いセイムス(両者は提携関係)が中心地寄りや金子側に抜ける道路の交差点にも新設された。

西武線沿線の多くの地区は、駅前の整備が充分でないため、商店街が発展していない。ために専門店が少ないのが欠点である。これを補うコンビニは域内にセブンイレブン5店、  ファミリーマート3店、ローソン・スリーエフ2店、ヤマザイ1店と計11店以上は確実にある。

無店販売の生協の宅配も盛んな地区で、コープ未来の埼玉、東京、パルコープ、生活クラブと複数の生協から選ぶことが可能なエリアだ。・・・・・以上のため出歩きにくい高齢世帯や身重な主婦でも食品、雑貨などの調達に困るということはない。

4.流出先にも魅力店多数
   そして2kmを越えた3km圏(流出先)には、大量販売安売り型のコストコや三井のアウトレトモールがあり、業務スーパー(飯能側)あり、入間駅まで出ればギフト品も揃うマルヒロデパートがある。

子育てに適した自然豊かな環境に加え、バライティに富んだ買い物が可能なのが仏子エリアである。若い世代が移住しても、不便を感じない仏子エリアであって欲しい。


<参考資料>

1.仏子エリア(商圏)の推定世帯数と人口



関与
関与
関与
関与
地区区分
分子
分母
世帯
人口
世帯人員
大字 新光
1
1
1,397
3,521
2.52
大字 野田
1
1
3,868
9,460
2.45
大字 仏子
1
1
4,015
8,485
2.11
大字 新久
29
33
1,523
3,625
2.38
大字小谷田
6
15
1,020
2,382
2.34
上小谷田3
1
1
74
195
2.64
大字 牛沢
1
1
347
836
2.41
鍵山 3丁目
1
1
378
901
2.38
鍵山 2丁目
1
8
76
174
2.30
春日町1丁目
2
6
200
478
2.39
 他の市分





大字 笹井
6
10
323
723
2.24
大字 新光
1
1
114
258
2.26
大字 双柳
4
39
465
1,072
2.31
大字 岩沢
20
53
956
2,153
2.25
合計


14,756
34,263
2.32

 埼玉14地区の商圏分析では、平均世帯数は16,255、平均人口は40,405のため、10~15%小ぶりの商圏といえる。しかし、ドラッグストアやホームセンターを含む競合店(100坪以上)は計9店ほどで、14地区の競合店は平均10.5店ほど。世帯や人口の差を考えると、選択性レベルや競争レベルは他地区と遜色がない。

2.食品・日用雑貨の購買力


 埼玉県の14ケ所の調査で得た、世帯人員別の1世帯年購買力(万円)の方程式は・・・
1世帯年購買力y(万円)=7.55 × x  +50.85 x=世帯人員

仏子エリアは別表のとおり現在世帯人員2.32人 xを.32とした1世帯の年間購買力は68.37万円  ÷12=1ケ月購買力56,972円(1世帯2.32人の場合平均)

 仏子エリアのスーパー品揃え関連の年総購買力=68.37万円×14,756=年100億8,868万円


3.その後のコンビニ
 最近になり、コンビニのうちセブン1店、ヤマザキ1店が残念なことに閉店した。とすると現在コンビニは計9店。エリア人口34,263人を9で割ると1店3,807人。全国の平均は1店2,282人であり、まだまだ人口に比してコンビニは少ない。数字からすれば、コンビニが不足しているともいえるが、24時間営業のため従業者の雇用が難しいとか、粗利益のうち35~25%も本部にロイヤリティを徴収され、「薄利」という問題も影に潜んでいる。

2016年9月20日火曜日

新久・八坂神社 (新久948)


―加治丘陵の丘の頂上に建つ―


新久とは「新しい開墾地」のことで、加治丘陵の小高い頂上部のさらに石段の上部に建立されている。付近まで住宅が押し寄せ、樹木も多く、遠くまで眺望できないのが残念。境内のヒノキは立派である。祀られているのは仏子側の八坂神社と同じスサノウノミコトとともにオオナムチノミコト、クシイナダヒメノミコトである。


 
いつ建立されたか不明だが、明治から八坂神社となり、明治15年に本殿、同45年に拝殿が回収され、さらに年を経て平成16年の11月に本殿、拝殿の改装がされ、まだまだ真新しいさを感じさせる小さなコンパクトな社殿である。本殿・拝殿ともに切妻作り。本殿の屋根には本格的神社に見られる3本の角のような飾りが出ている。拝殿はコンクリート造りだが、拝礼するときは本殿扉の金色の豪華な金具が、今も輝いている。















(上)拝殿




(右)本殿


















(下)本殿扉の金の金具


軽内の一部に起源2600年の祝いに奉納された(大正元年)、大きな鬼瓦も置かれている、その奥がヒノキの大木の林になる。

八坂神社 (仏子942)

-仏子地区の鎮守と子育て支援施設-
 
   仏子駅のプラットホームかたも本殿が見え、駅からわずは2分・・・サクラやイチョウの大木があり、春にはサクラの花びらが舞い、秋にはギンナンの雨が降る。いずれにせよ、緑陰に取り巻かれた落ちついた神社である。

 仏子の村社として6社あったものが、明治5年に諏訪山に合祀されたものが、さらに明治37年になって現在地に移転、明治41年10月に社殿が建立された。このとおりで、間違いなく仏子地区の鎮守様である。祀られいるのはスサノウノミコト。スサノウは月、太陽、金星を一体化した「金精神」というが、どういうご利益に結びつくのかは、勉強不足でよく分からない。

 拝殿と本殿の2つからなり、前者は入母屋造りの重厚なものだ。本殿は切妻作り。後者は立派な板塀で囲まれ一体化されている。隣の敷地の西側から見れば様子が分かりやすい。これらは大正9・10年に改築され現在に至る。

 
 鎮守様というだけでなく、現在は入間市の「広場型の子育て支援施設」の役割を担っており、毎週木曜には子育て中の親が寄り、子供同士や親同士の交流の場、子育て情報収集の場になっている。神社の今後の役割を問いかける貴重な存在である。

コンビニ新開店と改装開店ーファミマ仏子店

ファミリーマート入間仏子店 (仏子839-1)
















  仏子と金子を結ぶ要衝の地にあるパチンコ店跡が永らく
空いていたが、8月31日(2016年)にファミリーマートが
新規オープンした。まだ広い空き地が横にあり、いずれ別
の店舗も出来る様子で楽しみである。

 最大の特徴は3方向から出入りできる広い駐車場を持つ
ことだ。駐車台数も23台とコンビニとしては最も広いクラス。
交通量の激しいところだが、これなら楽に出入りできる。

ファミリーマートすぐ東
精肉(バーベキュー道具も)
斧沢精肉店 04-2932-7838
仏子843


ローソンスリーエフ元加治駅南口 (野田52-1)

 永らく仏子地区にはセブンイレブン、ファミリーマートと覇権を競うローソンが無かった。今回ローソンとスリーエフが資本や業務提携した結果、スリーエフ元加治駅南店が、ローソンスリーエフとして生れ代わり、改装期間を経て9月16日(2016年)にオープンした。従業員の方も「全部が変わった」というくらい、大幅なイメージ・チェンジを達成している。

 特に雑誌・本については従来のラック3尺4本に加え、3尺4台の書架が作られ、漫画本ほか小説の文庫本他が写真のようにぎっしり陳列され、パン類、アイスクリーム(平オープン)、惣菜の充実が目につく。


ローソンとスリーエフの資本・業務提携
 スリーエフももともと親会社は神奈川で1番の大きさとパンチ力を持つFuji【富士】スーパーが運営するコンビニであった。だがコンビニも統合時代に入り、セブン、ファミリー、ローソンの3者に集約されていく方向にある。
ローソンとスリーエフは前者が後者の発行済み株式5%を取得し、原材料の共通化、共同仕入れ、商品の共同開発で協力し合うことにした。さらにローソン30%、スリーエフ70%の出資で合弁会社を作り、新店舗ブランドの「ローソンスリーエフ」を出店する。スリーエフ540店舗(1都3県)のうち、訳90店舗がこれに加わる。新光のスリーエフも近々これに移行という。

2016年7月27日水曜日

仏子の地名の由来を探る!

丘陵が涅槃像に似ていませんか?

 仏子はズバリ言えば、仏につかえる子であり、信心することで来世に仏になれるということと理解している。仏子の加治丘陵の北側地区には、高正寺、円照寺、長徳寺、南側の山麓には東から西に東光寺、龍園寺、豊泉寺、光円寺、高養寺などがあり、これを上回る神社もある。歴史的に宗教心、信仰心の強いエリアを感じさせ、「仏子」の名に恥じない地域のように思う。

この姿と地名の由来は密接不可分である。詳しくは後に譲るが、地名の由来としては①仏子と呼ばれる地形に位置する、②高名な僧がいた、③高名な武士がいた・・・から、などいくつかの説がある。

3つの説のなかでは、高名な僧特に見当たらないし、高名な武士については金子、加治というかたちですでに残っている。このため①を押す説が強い。だがこの説も、本末転倒のきらいがあるように思う。「仏子」は丘陵地の高台と平地の結節点を表すとされ、「星」「藤」「縁」「武士」「崖=ハケ」などの付く地名と似た意味を持つとされる。ではどんな地形かといえば、太古の洪水や大雨で、川の下流に土砂、礫(レキ)、岩など押し流され、堆積してできた丘陵地と平地の接点の地形という。

    加治丘陵、狭山丘陵ともに、このように多摩川などの洪水で形成されたモコモコとした台地だ。その端はその後の川の流れで洗われ、時に何段もの段丘を形成する。丘陵ー段丘ー段丘の間は切り立った崖状になり、これをハケと呼び、その下部に泉が沸いている場合も多い(その一つが仏子地区の野田にある「矢田の泉」)。
写真① 釈迦の涅槃像
写真② ヤオコー屋上から眺めた加治丘陵。上=西流れの像 涅槃像をイメージできる箇所は2つある。

写真③ 下=東流れの像(リバーサイドの駐車場より)

こうした丘陵地と平坦地の結節点が「仏子と呼ばれる地形」とされる。なぜ「仏子」と呼んだのか不明だ。どこにも説明が出てこない。当方の推定では「釈迦の涅槃像」と関係あるように思えてならない。写真のように涅槃像は頭、肩、胴、腰と凹凸があり、足先にかけ丘陵のはずれのように低くなる。まさに加治丘陵はこれに似た凹凸がある。遠くから一度眺め直してほしい。そして、像の周囲はストンと落ち込むが、加地丘陵の側面も切り立った崖ばかりで、なだらかなスロープは1つもない。その裾に沿い仏子側にも南の金子側にも人家が古くから張り付き、弟子たちが釈迦の入滅を悲しみ取り囲むかのようである。

   この「仏子名の由来説」は、あくまで個人的な見解である。それにしてもネット検索し、仏子の地名は皆無に近く(1ケ所のみ出てきたのは徳島県三好市山城町仏子。ネットで県別に仏子の名を置き検索しても出てこない)、貴重な地名に間違いない。

と同時に地形由来の仏子が全国に1つしかないとすれば、この一帯の地形がたまたま涅槃像とこれを囲む弟子たちの姿と似ているので古くから仏子と呼んだ。明治以降に地層・地形学が発達し、特徴ある地形がたまたま仏子に位置するので「仏子型の地形」とした・・・と推定でき、先に「仏子と呼ばれる地形」があり、ために仏子の名がついたというのは間違いだと思う。何百年も前に地形学、地層学的な名称など確立するはずがないからだ。

仏子という名が全国に少ないのも、仏子層に近い地形・地層があったとしても、そこには従来からの地名があるからだと思う。

追記・・・「アイヌ語だ」と決めつける方にも2人出会ったが、ネット上の2つのアイヌ語辞典を検索してみると、最初の文字がブはもちろんバビブベボで始まる単語は皆無(パピプペポは逆に多い)。英語のアイヌ語辞典でも頭がBやVで始まる単語はゼロである。以上からすると、アイヌ語説の可能性はかぎりなくゼロに近い。

<お礼>本欄については、誰かがfacebookで紹介してくれたのだと思う。平成28年12月11日~12日には各150ほどのアクセスがあり非常に喜んでいる。

世界一の涅槃像は福岡・篠栗町に!

仏子研究からすると枝葉に属する話になるが、世界一の涅槃像が福岡県篠栗町の南蔵院という寺にある。全長41m、高さ11mという巨像である。偶然だが大学の友人が地元に住み、九州旅行の際に泊めてもらい、この際涅槃像を実際に見た。先の写真と違い頭をもっと持ち上げている。全体がブロンズ製で青銅色である。


徳島県三好市の仏子は仏師から変化!

三好市山城町の仏子(ぶっしーと読む)については、実際に三好市に地名の由来に関係する資料を送っていただいた。残念ながら「地形由来の地名」ではないようだ。市の地名に関する資料には「仏像などを作る仏師・友信が来て住み、仏師という名で呼ばれたものが、のちに仏子と改まった」という短い記述がある、
付近は山岳地帯で596m、1020m、980m、926mなどの山に囲まれ、かなり山間部といえる地形である。したがって小字の仏子地区の世帯数は21、人口は33人と少ない過疎地だ。付近を吉野川の支流が流れているが、平地に山の土砂が流れ台地を形成しているとは思えない。したがって涅槃像に似た台地ではないようだ(地元の地図も送っていただいた)。 本ブログに「入間市と徳島県三好市の市対応の違い」を掲載してある。是非こちらも読んで欲しい。入間市の1/5の人口しかないのに、三好市は入間市の数倍もやる気のある市ということが分かる。

阿蘇山は涅槃仏!

   熊本県の阿蘇山は遠くから見ると涅槃仏の形に見えるそうで、山自体を涅槃仏として崇めているようである。このことからも加治丘陵とこれを取り巻く集落の姿から「仏子」という地名が生まれたとしても不自然ではない。

写真の根子岳が顔、高岳が胸、中岳が腹、烏帽子岳と杵島岳が膝

2023年11月7日(火) 仏子の歴史を追う

 西武わが街研究会の調査資料によれば・・・正保田園簿(正保は西暦1644~1647年)によれば、仏子村は高麗郡加治領に属し、水田23石、畑63石で、当時代官支配地であったとある。宝永3年(1706年)に、旗本・鈴木氏の知行地に。宝永1年(1704年)、武蔵野国高麗比企西郡は550石。このうち90石弱が仏子村の知行地であった。遡る寛文8年(1667年)の検知では、53町2反歩余であった。そのうち屋敷が2町2反歩余。

 仏子村は近世当初より、様々な農家的な商品生産物をつくり、カキの木等の育成に努力。「甲州丸」「霜丸」を売り出した。特に養蚕や機械織りに力を入れ、木綿織の反物が稼ぎとして盛んにおこなわれた。  

西暦1644年と言えば、今から357年前である。仏子の名は、もっと前からあったはずで、こんな時代に地質・地層学があるはずがなく、「仏子層があったから仏子の名がついた」ということはあり得ない。むしろ仏子という地区に、特殊な地層があり、これを「仏子層」と名付けたのが本当だろう。

仏子の名に、多くの人が興味を持ってくださり有難うございます。2023年12月8日現在, 本項のアクセスは5,925で、当ブログの2位である。