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2017年10月29日日曜日

「狭山中央病院」ー中病院だが総力看護に好感

 今年(2017)8月のこと・・・微熱が15日ほど続き食欲不振で栄養失調のため立てなくなり、救急車で搬送され16日間お世話になったのが狭山中央病院(狭山市富士見2-19-35)。肝臓裏側に出来たウミの溜まる病巣を発見してくれ、内視鏡手術で除去、その後5日ほどで退院できた。一年前に別の大病院で某手術をしたが、その後手術に近い部位がチクチク痛んでいた。その大病院で2ケ月前に検査してもらったが原因が特定できなかった。病巣を発見・摘出してくれ、感謝感激である。

それだけ優れた技術を持った先生がいたから。この狭山中央病院は病床数111床の中規模の総合病院。だが、これまでの入院した病院にない素晴らしさがある。普通担当の看護婦1~2人が各病室を担当するばあいが多い。ところがここでは「総力看護」とも言うべき体制で臨んでいる。

つまり患者別の縦割りの担当でなく、各患者の時間別のニーズに対し、看護師、看護師助手、各種ヘルパー、掃除担当等の10人ぐらいが、とかえひっかえ病室に来て各患者をサポートする。私の例で言えば検温、血糖値調査、点滴+抗生物質投与、食事やほうじ茶の配布、下着の取り換え、体を拭くおしぼりの配布、ベットメーキング、床周りの清掃・・・ 

時間帯に応じ、個別の患者に対してすべき作業が分かっていて、空白を複数の担当者の誰かが埋めていく。左右の連絡が良いのに驚く。必要があれば、ベット上で入浴や指圧もしてもらえるようでもある。

時間帯に応じ一斉に看護し、休憩の時間を設けているようで、静まり返る時間帯もある。このときはナースコールを押せば、ちゃんと看護士さんが来てくれ、ニーズを解決してくれる。

16日間の入院であったが、最後の日の朝食は重箱入り弁当で、蓋に「退院おめでとうございます」と書いた用紙が添えられていた。心温まる対応だ。設備がやや古くなっているとか、病室の床数がやや多いなどの面があるが、「総力看護」の気構えに好感が持てる病院に違いない。

2017年10月18日水曜日

仏子地区の小・中学校の統合と問題点

 
 写真① 西武中学校
 
 入間市の人口は昭和40年ころ5万2,000ほどだったものが、平21年には5倍弱の最高15万1,000人ほどになった。そして平成28年末は14万9,000人ほどで、ここ7年は減少に転じている。人口減だけでなく、入間市においても少子高齢化の流れが激しく、次代を担う35才以下の人口は極端に少なくなる。また世帯数で西武地区の小・中学生数を割ってみると、小学生は約11%,中学生は約6%の家庭にしか居ないことになり(地区外流出の生徒を除く)、子供さんがいかに少ないかが分かる。

平成31年(2019年―2年後)を基準として0才~35才、35才~70才(団塊世代とそのジュニア世代)の市の人口を見ると、約56,000人対84,8000人である。34才以下の若い層が35才~70才の層の約66%・・・つまり2/3ほどと少ない。あと35年も経つと市の人口は今の7割近くに減りかねない。今から人口減少を前提に、市の公共施設である地区センター、小・中学校、学童保育室、保育室、地区体育館、老人憩いの家、公会堂、図書館などの統合、縮小、再配置などを真剣に考える時期にあり、このための地区別説明会が最近になり実施されている。

まず西武地区の小・中学校問題・・・シルバー世代になると、最近の小・中学校の現状がわからない。表―1の通り、地元の仏子、野田、新光地区の小学校は西武小と仏子小の2つ、中学も西武中と野田中の2つ。シルバー世代では小・中学校と言えば、1学年5~6クラスもあり、1クラス45~50人と言った規模を経験したはず。ところが表-1の通り、西武地区の小・中学においては、各学年のクラス数が2~4と少なく、1クラスの生徒数も22~36人ほどと少ない。全国的に見ると、1クラスの生徒数は小学校の場合、昭和33年当時1クラス平均44.6人だったものが平成平成28年には24.2人、中学校の場合昭和31年当時1クラス47.3人だったものが平成28年には28.3人。

表―1 小中学の築年数や学級数、1学級の生徒数
 学校
区分
建築後
年数
構造
土地
所有
学級数
1学年
学級数
1学級
生徒数
西武小
51
RC造
24
4.0
29.8
仏子小
37
RC造
13
2.2
22.2
西武中
48
RC造
8
2.7
22.0
野田中
29
RC造
10
3.3
35.7

実際はテレビで見ての通り、地方の過疎地では1~6年生合わせて25人で、1クラスにまとめて授業をしている事例にぶつかる。学年ごとのクラス数が減り、かつ1クラスの生徒数が減れば、教育の密度が高まって良いと思われるが、適正人数の先生の配置が出来なくなり、友達となるクラスメイトの数も減り、バライティに富んだ教育が不可能になってしまう。

 西武地区の場合、表―2のように仏子小、西武中の生徒数が特に少なく、学年別のクラス数、クラスの生徒数も少ない。このため、今すぐではないが小・中学ともに2校のうちのどちらかに統合する案が提示され、それぞれどちらに統合するかによるメリット、デメリットも提示されている。通学の距離や防災拠点と言った面からの意見である。表-2右端の通り、15年先の推定からすると、18%前後の児童数の減少に過ぎないが、それにしても仏子小、西武中の生徒数が極端に少なく、先生の適正配置などを考え、統合の必要性はある。半面通学距離が延びる生徒も増えるというマイナス面がある。課題は多く、広く住民の意見を反映した計画にすべきである。

表―2 西武地区の小・中学の生徒数の動向
学校
区分
平成24年度
平成29年度
平成44年度推定
実数
指数
実数
指数
実数
指数
西武小
752
100.0
716
94.4
617
82.0
仏子小
348
100.0
289
83.0
285
81.9
西武中
199
100.0
176
88.4
163
81.9
野田中
377
100.0
357
94.7
309
82.0


<追伸>2019年2月1日号の「広報・いるま」に掲載された最終案では、小学校は
現状のまま西武小、仏子小が存続、中学校は西武中学を改修し、野田中学を統合・・・となっている。なおその他については、図書館の西武分館はそのまま維持され、公立の西武保育園も現状通り維持される。西武公民館は地域の複合機能を備えた地区センターに移行・・・とのこと。市民説明会は西武公民館で2月16日(土曜)18~20時に。

 上記説明会には200人以上の住民が出席し、会場は満員で当方などスライドで説明の最重要資料が不足し、もらえなかったほどだ。市の案に対し反対の意見が続出し、「小・中学の統合問題の結論は3月中にいそいで出すべきでない」のとの意見が多くの拍手を受けた。では統合問題のどこが問題なのか。

写真ー2月16日の西武公民館の説明会は満席

 ①野田中を西武中に統合するというが、野田エリアの新光や野田側で住宅建設が進んでいる。今後の住宅建設の余地も入間川の北側に多い。にもかかわらず野田中をなくし西武中に統合するのか。普通なら生徒数も多く,立地的に西武地区の中心に近い野田中に西武中を統合すべきではないか。
 ②児童の安全を第一に考えるべきだ。現在は幹線道際の90cmにも満たない歩道を登校する例もあり、統合以前にこうした危険から児童を守る対策が必要だ・・・新光や野田北部から西武中学に通うことになれば,幹線道路の299号と185号線、西武線を越えねばならず、危険度が増すという意味合いを含む意見。
 ③野田地区には、西武小ー野田中卒という絆が生まれている。こうした絆が壊れてしまう。
 ④むしろ小・中学一貫教育の良さも考え、仏子小ー西武中、西武小ー野田中の統合を進めるべきではないか。また入間川南部地区については、アミーゴと隣の自転車置き場なある用地を」まとめると、学校建設の面積要件を満たすので、ここに統合移転を考えてみるべきだろう。・・・西武中については、100mほどの距離に、崖崩れのおそれあり」という危険性もある。
 ⑤野田中敷地については、統合後に売却する予定のようだが、売りやすからい安易に西武中に統合することにしたのではないか。
 ⑥今日出た意見を十分汲み取り、かつ児童のアンケート調査も十分に行ったうえで判断すべきで、3月中に急いで結論をだすことはやめてほしい。   追加予定
 
    市の側は地図という平面で見て、単純に統合案等を決めているきらいがある。実際はもっと地形や幹線道路、鉄道、河川といった障害物の存在、人家の張り付き、将来の人口増、地域の歴史なども配慮し、児童の安全確保、通学時間、子育環境の改善まで考える必要がある。もともと、小・中学校の設置に当たっては、地価の安さも考え人口密集地から離れた地域のはずれが選ばれているケースも多い・・・野田中や西武中も該当。これを無視し、地図上の平面距離だけで学区の統合を進めれば、通学距離も極端に伸び、児童の危険度も増してしまう。

 西武中から北の新光のはずれまでは2.5kmある。実際の道路は西武中から直線に延びるものはなく、露地を鋭角的に曲がりながら登校することになり、三角形の斜辺でなく縦横の2辺の和に近くなり約1.41倍に伸びる。とすると3.5kmになる。速足で1分90m見当と思うが、西武中まで39分かかる。信号待ちなどを配慮すれば45分くらいでないだろうか。授業前にこれだけ歩かせるのは酷である。市では通学バスを出すというが、集会では「バス運行をどう実施するか先だろう」という声も出た。バスに乗らない中間的な地域の児童は、幹線道路や鉄道を越え、狭い路側帯の歩道を来る危険も増える。

 隣の高倉小学校の他所の小学校への統合案となると、さらに地形上の配慮を欠いている。高倉地区全体が丘陵の高台部にあり西武線や16号で区切られている。他所へ通うには踏み切りや16号超えの危険も増す。地図という平面で見る行政判断の悪さが特に表れている。地元の小学校だけでなく公民館も統合でなくなれば、今後は若い世帯の流入は考えられず、高齢化ー人口減少の激しい地区になってしまう。

 その地域に住んでみないと分からない要素があり、これを無視して考えてはいけないはず。
写真⓶ 西武小学校

 小中一貫校は飯能市に誕生

 2月16日の市民説明会の際に、「統合し小中一貫校を」という意見も出た。実際、飯能市では31年4月に奥武蔵創造学園(奥武蔵小学校+奥武蔵中学校)が開校した。いままであった東吾野小学校、西川小学校、吾野小学校を統合し、これまでの西川小学校と吾野中学校を活用した「隣接型小中一貫校」とするのだ。生徒数は小学校74人、中学校54人。近くにある保育園も視野にいれた一貫きょういくだ。

 山間地で人口も少なく、地域活性化の意欲的プランとして誕生したようで、教育先進国のフィンランドの実態もよく研究し活かしていくす方針のようだ。フインランドは、学習到達度調査によると2000年と2003年度とも世界トップだ。学校の規模が小さく70~150名で、9年間の一貫教育。教えることから「学ぶこと」へと改革し、「共同的な学び」と「考える力」の育成に力を入れている。またコンピュターの潤沢な配置、学校と図書館の連携のも力を入れ、国民の77%は1日平均1時間の読書をするという。図書館利用率も世界一だ。

 地域活性化にあっても、今までの延長では解決できず、考える力を養い新たな創造が必要である。こうした中で、あらたな挑戦をする武蔵野創造学園の発展に心から期待したい。

 
すでに入間市のホームページで、表記問題の最終案を見た人も多いと思うが、見てないひとのため、その内容を紹介しておこう。統廃合等の実施時期は第1期2019~2028年、第2期2029~2038年、第3期2039~2048年の3期にわかれており、今すぐ全事業が推進される」わkwではない。


最終決定案

1.西武小・仏子小の統合
  第2期に仏子小学校は,廃止され、建て替えられた西武小学校に統合される。第3期工事で体育館を建て替える。

2.西武中・野田中の統合
 第1期で西武中の校舎建て替え、第2期で野田中を廃止し西武中に統合。
   この統合については、第2期に伸ばし、2019年度から地域の人たちと通学上の安全性確保や防災・防犯等の課題について協議する。
   学生数も多く、人口も延び、校舎も新しい野田中への統合を求める声も多かったが、災害時の避難場所確保からすると、入間川北側に西武小、南側に西武中と分散配置するのが適正。
   入間川の南に1つ、北側に1つの小・中一貫校の設置を・・・の声も出ていたが、児童・生徒数の減少に対する解決策にならず、導入は考えない。

3.その他の事業
 ① 西武学童保育室・西武第二学童保育室・仏子学童保育室は第二期事業で統合し、小学校に作り複合化。
   西武中央保育所 第1期事業で改修。第3期に建て替え。
   西武地区体育館 第1期事業で改修。第4期に建て替え。
   図書館西武分館 第2期に改修。
   文化創造アトリエ 随時修繕にて対応。
     老人憩いの家(4施設) 活用促進、状況を見て転用・廃止。 


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2017年10月3日火曜日

仏子の歌声「オールドボーイズ」 コロナ給付金10万円の寄付

    オールドボーイズは昨年(平成28年)8月から仏子地区の老人ホーム、デイサービス3ケ所で月計4回ずつ歌声のサポートをし、すでに60回以上実施してきた。オールドボーイズの名も某デイサービスでつけていただいたもの。「いつまでも青年らしい新鮮で闊達な発想をわすれないシルバー世代」と理解ください。グループ員は65才以上81才までの4人。

ギターとともに歌も上手な平野氏が中心になり、ベースとギターをこなすI氏の助けを受けたり、平野氏の属するギタークラブの1・2の人の応援を受けたり、進行の補佐役としてリバーサイドに住む近藤、姫野が加わり、活動を続けてきた。

このオールドボーイズの初のミニ・コンサートが10月1日(日)午後2~4時にかけアミーゴの8角形の小ホールで開催され、当初予定した30人を上回る50人近くの人が集まってくれた。初の演奏会としては大盛況の部類。「里の秋」「赤い靴」「荒城の月」他の童謡、「知床旅情」「学生時代」「北上夜曲」ほかの懐かしの歌、その他を20曲を歌い、最後は「花は咲く」。またフォークソング5曲ほどの演奏を披露した。

好評につき、年内の12月中にも、再度ミニ・コンサートを開催予定!
上記については、その後12月22日(金)14~16時にアミーゴ小ホールで実施。もちろん無料。ぜひご参集ください。

追記① 平成30年9月16日には地域自治会に招かれての公演予定。アミーゴの2回にわたる自主公演まで加え、歌声サポートは8月までで計107回になった。

10万円のコロナ給付金の全額寄付に感謝!
追記② コロナ問題で歌声サポートは1時中止になった、平成28年7月15日から老人ホーム、デイサービス等のサポートを開始、令和2年2月までの約3年半で185回の歌声サポートを実施してきた。月4回の定例的なホローに加え、入間市社会福祉協議会経由の要請に沿い、地域自治会や老人ホーム・デイサービスの歌声もサポートしてきたため185回となった次第。
 社会福祉協議会経由ののものは3,000円の交通費を頂くようにしているが、月4回の定例分はまったくの無料である。よく続いてきたのも、老人ホームやデイサービスに集まる皆さんの笑顔や拍手のおかげである。
 こうしたなか、仏子のリバーサイドに住んでいられる秋山様という方から、今般「コロナ給付金の10万円を全額寄付したい」の申し出があり、喜んで受けさせていただくことにした。長らく使ってきて汚れた楽譜(110曲=5枚)の修正や演奏備品の購入資金、アミーゴ等を会場にした歌声集会の開催費として大切につかわせていただく予定である。  文責:近藤 穣

2017年9月13日水曜日

天皇陛下9月20日(水)に高麗神社他視察


 2017年9月20日(水)に天皇陛下が日高市の高麗神社(午前中)、巾着田(午後)などを視察される。引き続き21日(木)には深谷市の生涯学習センターや渋沢栄一記念館を視察。



 高麗神社の由来等は本ブログで詳しく紹介済みのため省略するが、1300年も前からの日朝の友好の歴史をあらためて確認したい・・・との陛下の気持ちによる訪問と思う。

<参照本ブログ>日朝韓融和の証-高麗神社と23の白ヒゲ神社

2017年7月14日金曜日

日朝韓融和の証ー高麗神社と23の白ヒゲ神社

  入間市には金子に白鬚神社、野田にも白髭神社がある。がヒゲの字の下のところが異なる。実際は髯が加わり3通りのヒゲ神社があり、入間川と高麗川の流域には23もの白ヒゲ神社がある。全国では292社もあるそうだ。あまりに白ヒゲ神社が多すぎるので、ヒゲの字を3通りに変え、差別化したといわれている。

写真① 入間市野田の白髭神社―広く、かつ氏子の出入りも多い。
    (写真保存場所悪いため後日掲載)

西暦716年、今から約1,300年前に東国の7つの国-駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野-から高句麗人1,799人が集められ、高麗郡というものが設置されたのだ。23の白ヒゲ神社は「高麗郡」のエリアを意味するようだ。いま日高市にある高麗神社がその中心で、むかしは高麗神社も白ヒゲ神社と呼ばれていたという。

西暦710年に奈良に見事な都(平城京)ができ、仏教が盛んな奈良時代に入る。古事記(712年)、日本書紀(720年)が編纂された古い時代の話なのだ。

朝鮮半島にあった高句麗なる国(朝鮮半島北部から一部中国北部にまたがる)は、中国の唐と朝鮮半島南部の新羅に攻撃され、百済に続いて滅ぼされる。668年のことだ。このため百済の人も高句麗の人も、大挙して日本に逃げた。それは日本により高い文明をもたらすことにもなった。当初は奈良など上方方面に多く移住していたが、時の政権はもてあまし、東国への移住を促した。その東国のエリアは静岡、山梨、そして関東にまたがる広いエリアだ。「東国の高麗人を集め、高句麗を日本で再現したいと夢見て、1ケ所に集まるよう朝廷に働きかけ、朝廷が認めて高麗郡誕生となった」と見るべきではないか。
 
 この移住集団の指導者が、高麗若光である。続日本紀によれば日本の政権からその功績が認知され、従五位下という位の高い貴族の1人になっていた。神奈川県の大磯町(ここは私の腹違いの姉が長年住み、幼時・少年期に毎夏訪問)の高麗山の下の高来神社の付近を支配していたとされる。(ネットの「高麗若光」を参照) 

「高句麗を朝鮮半島で再興する夢のため」との解釈もあるが、人数規模が少なすぎるし、半島における唐の力が強大過ぎる。また西暦727年に高句麗が昔支配していた中国側の渤海地区を取り戻し「渤海」なる国を作った。「ために一部の高句麗人はここに目立たないよう戻った」とされるが、白ヒゲ神社の多さを考えれば、多くの高麗人は地元の発展に寄与する方を選択したのではないか。

写真②③-高麗神社 

本殿と手前にある鳥居。輪飾りを抜ければご利益あり?
























 いまの高麗神社は「学問の神様が祭られている」ことで有名で、写真で1例のみ紹介したが若槻礼次郎などの有名な政治家、学者などが貴重な樹木を多数寄進している。文化レベルの高さを象徴している。つまり高麗郡という文化都市を目指し、高いレベルの教育が追及されてきた証だと思う。

高麗郡誕生から1,300年・・・この間、平安時代、鎌倉時代、足利時代、徳川の江戸時代、明治・大正・昭和時代が挟まる。一般に1世代30年と言われるが、仮にこの通りだとすると、実に43代も世代代わりをしたわけで、融和を表す一つが、祭られている神が日本の「猿田彦の尊」であることからもわかる。日朝の血と文化が混ざりに混ざり、第3の融和した日本文化が創り上げてきたと言える。日・朝・韓が心から仲良くなれる日が来ることを願わずにはいられない。

写真④⑤-高名な方(最高裁判所長官・石田和外や内務大臣・若槻礼次郎・・・その他高名な方が樹木を寄進



































 なお白ヒゲの語源は新羅がなまったとの説もあるが、高句麗を滅ぼした敵国の名を、神社の名称に使うはずがない。また「高麗若光がヒゲをはやした風貌だったから」の説も当たらない。なにせ白ヒゲ神社は290も全国にあり、かつ本社は滋賀県高島市の白鬚神社と言われる。鳥居が琵琶湖に浮かぶ厳島神社に似た立派なものだ。本社まであるのに、高麗若光の「風貌」はない。本社は「延命長寿・長生きの神様」を祭っており、この長寿とヒゲが結びついているように思う。

紅葉の時期の高麗神社(令和3年12月3日撮影) 正直、もう少し紅葉がほしい。








2017年5月10日水曜日

日高中央農産物直売所ー仏子近隣1の繁盛店

   日高の高麗神社方向にJAいるま野の「あぐれっしゅ・日高中央」農産物直売所がある。仏子からだと約7.5kmほど。直売所の商圏は最低でも4~6kmにもなり、立地によっては15kmにもなる。鮮度、安全、有機性、珍しい品種・・・といった個性を求め、レジャーもかね遠くから来る客が多いからだ。このため7.5kmは決して遠いい距離ではない。

写真① 直売所の正面と駐車場
 

 「日高中央」のばあい、付近に高麗神社、巾着田という観光資源を持ち、かつ秩父や寄居方面に抜ける道路に面しており、「道の駅同様」の機能を備えている。このため開店以来繁盛し、内容の充実も進み、JA直売所の中の優等生の感がある。筆者も大規模化してあとの初代店長とは懇意になり、1時コダマスイカの産地(三浦半島の)を紹介したほどだ。今は5月で、ちょうどスイカ、メロンなども置かれている。

写真② 極太の珍しいダイコンと店内



 











  JAいるま野のなかでは最大規模といえそうで、売場面積はジャスト479㎡(145坪)、レジ5台、駐車76台+予備24台ほど=計約100台。ゴールデン・ウイーク中に2度行ったが、76台の駐車場はほぼ一杯。店頭には移動販売車や店頭売りのジェラードやおでんのテナントも出ており、すこぶる盛況。

写真③ 豊富な切り花コーナー














 野菜類はダイコン、カブ、ネギ、トマト、レタス、キュウリ、ノラボウの品揃えが特に豊冨で安い。ダイコンは見たことのないジャンボな太い物が1本150~200円。カブは1把150~180円、ネギ1束130~170円、トマトは3ケ・4ケもの330円、5ケ500円、キュウリ3本詰め150~200円・・・といったところ。ただ買い物をした主夫の話では「ノラボウやネギは煮て硬かった」の声があり、収穫適期についての注意が課題と言える。

 店内で目を引くのは切り花の豊富さだ。約50㎡(15坪)ほどのコーナーに100を超すバケツがあり、これに500束ほどと思う切り花が陳列されており、カーネーションはじめ美しさを競っている。1束180円、220円、380円、400円、540円他とプライスゾーンも豊富だ。

写真④ どこにも負けない野菜苗の種類


 











 店頭の屋根下スペースの33㎡(10坪)ほどでは、「いまが盛り」とばかり各種の野菜苗が50アイテム以上も売られている。これも当店の偉大な個性と言える。丸ナスが2本320円、3本480円、長ナス3本480円、5本800円。接ぎ木ナス2本580円、大玉トマト2本320円、3本640円。870円。桃太郎トマト2本320円、3本480円。4本640円。ピーマン2本320円。シシトウ2本320円。

 なお、直売所の隣の区画には手造り豆腐の「豆腐厨房日高店」があり、各種の豆腐料理・豆腐デザート的なものがある。休憩場所として寄るのもお勧めである。

仏子地区は気候もまた快適!

    仏子地区は、総合して住みやすい気候の土地と言る。日本の気象は西から東にうごいて行くが、西側に青梅の山々や秩父山系があり、雨雲や台風といったものを遮ってくれる。「今日も雨かな」「台風がひどいかな」なとの予想が出たときも、飯能、入間、狭山、所沢は天気だったり、台風に見舞われないこともままある。

確かに2016年8月22日の台風では入間市の不老川流域で水害が起きた。だが水害はこの時ぐらいで、ほとんど起きていない。入間川本流は最近水量が少なすぎるほど。河川敷が広く、運動場や公演に使われており、大雨が降っても河川敷に流れが拡がり、土手を超えることはまず考えられない。

雨量や日照時間は、入間市そのもののデーターはないが、気象観測点のある所沢市と、西側に山岳地帯がなく、太平洋岸の気候の影響下にある神奈川県の海老名市(県のヘソに当たる地区)を比べてみよう。表―1のように年間降雨量の2015年と2016年の平均で見ると、2016年8月の豪雨による飛びぬけた数字を含めても、所沢市は海老名市の82.8と少ない。例外の8月を除くと74.4%と約1/4も少ないことになる。

表―1 年間降雨量と月別推移

所沢市 

海老名市

A/B
/ 年
2015
2016
平均
2015
2016
平均B
1月
62.0
73.0
67.5
116.0
81.5
98.8
68.4
2月
39.5
52.5
46.0
56.5
112.5
84.5
54.4
3月
76.0
74.0
75.0
114.0
129.5
121.8
61.6
4月
82.5
84.0
83.3
125.0
153.5
139.3
59.8
5月
57.5
56.0
56.8
111.5
116.0
113.8
49.9
6月
154.0
116.5
135.3
137.5
164.5
151.0
89.6
7月
303.5
106.5
205.0
319.0
118.5
218.8
93.7
8月
184.5
450.5
317.5
117.5
323.0
220.3
144.2
9月
343.5
221.0
282.3
381.5
287.5
334.5
84.4
10月
47.0
47.5
47.3
48.0
89.5
68.8
68.7
11月
127.0
115.5
121.3
154.0
150.5
152.3
79.6
12月
53.0
78.0
65.5
121.5
99.5
110.5
59.3
合計
1,530.0
1,475.0
1,502.5
1,802.0
1,826.0
1,814.0
82.8
 サトイモはやや少なめの湿気のほうが美味になるが、入間、狭山、川越、所沢等のサトイモが高値で取引されることと無関係ではないはず。茶にも適した雨量のはず。

表-2 年間日照時間と月別推移

所沢市 

海老名市

A/B
/ 年
2015
2016
平均
2015
2016
平均B
1月
191.3
210.8
201.1
179.4
179.7
179.6
112.0
2月
177.2
158.8
168.0
165.9
161.1
163.5
102.8
3月
188.3
155.5
171.9
183.5
146.8
165.2
61.6
4月
151.5
152.4
152.0
146.7
131.9
139.3
109.1
5月
241.6
205.2
223.4
238.5
212.5
225.5
99.1
6月
131.3
134.8
133.1
130.8
124.8
127.8
104.1
7月
178.3
123.5
150.9
183.0
148.2
165.6
91.1
8月
133.8
153.4
143.6
151.2
172.9
162.1
88.6
9月
105.9
87.4
96.7
113.8
88.3
101.1
95.6
10月
180.9
121.2
151.1
182.0
107.1
144.6
104.5
11月
114.3
140.3
127.3
112.4
120.2
116.3
109.5
12月
171.5
201.3
186.4
133.2
183.5
158.4
117.7
合計
1,965.9
1,844.6
1,905.3
1,920.4
1,777.0
1,848.7
103.1
 表―2は日照時間である。これも海老名市を3.1%上回っている。天気の良さを物語る。特に10月~翌2月の秋・冬場の日照に恵まれ、この間厳しい寒さを感じないですみ、すごしやすい地域と言える。水は冷えにくく入間川沿いでは厳寒時に、温かい空気を運んできてくれる・・・という事実も体験している。

 ぜひ、新天地をもとめ仏子周辺地に移住してきてほしい。「やさしい気候」とともに「自然の素晴らしさ」も十分満喫できる。

追記 令和4年1月11日 大雪の朝
 10日の夜から11日の朝にかけ関東地方は大雪の可能性があった。私は朝のバイトをしており、バイトの日は6時半に車で仏子を立つが、この日は路面凍結で滑るのを防ぐのと、滑りで大渋滞が起きる可能性を考え6時に駐車場を出た。ところが入間市の幹線道路にはまったく雪がなく、それでも表面の凍結を心配してスローで走ったが、むしろ夜通し車が走ったためか路面は乾燥状態のように見えた。道路わきの枯れ草のうえにほんの少し雪が見られる状態だった。それが東隣の狭山市、所沢市、さらに川越市となると、幹線道路わきの歩道やその先の畑地は雪で真っ白であった。

   写真は狭山市と所沢市にはさまれた地帯のものである(入間市の写真は普段と変わらず、撮り損ねた)・・・やはり秩父や奥多摩の山や山にかこまれ、西からの風を遮るためか「入間は恵まれた気象条件にある」という私の説の正しさを実感した。