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2016年4月7日木曜日

「里の家」(仏子284-10)は宅老所の湯・楽施設!

 お年寄りが楽しく暮らせ、育児環境も整った町こそが、今後も人が移り住み、「活力を持ち続ける町」と言えるのではないか。前者については老人ホームも大切だが、在宅介護を支えるデイサービスに沿った老人の楽しめる憩いの場が必要である。

 仏子のばあい、その一つがデーサービス・。宅老所の「里の家」である。宅老所とは「民家などを活用し、家庭的な雰囲気のなかで、一人一人の生活リズムに合わせた柔軟なケアを行っている小規模な事業所」を指すようである。
写真① 案内パンフの一部。右の中段はヒノキの風呂

「里の家」のばあい9~16時の営業で休みは日曜と12月30日~1月3日のみ。9時半に訪ねると、すでに駐車場の車は送迎車ほかでほぼ満杯。施設の送迎車が充分あり、体が不自由でも来ることができる。施設内をのぞかせてもらったが、要介護者やそれ以外のお年寄りが、25人ほどもくつろいでいたが、みんな血色もよく、明るい顔だった。 

なにせ、施設内にはヒノキの浴槽もあって、からだが不自由でもユウタリと入浴できる。湯上り後は健康チェック、リハビリ、マーサージ、針、灸なども行ってくれ、ときにボランティアと碁なども楽しめる。昼食も頼べば用意してくれる。「ゆっくり入浴」「おいしい食事」「安心・くつろぎ」「楽しいリハビリ」がキャッチフレーズである。

要介護者ばかりでなく、元気なお年寄りの利用もOKで、送迎車が自宅まで迎えに来てくれる。要介護者は担当のケアマネージャーに相談するか、当事業所に直接連絡すれば、利用法を教えてくれる。 TEL:04-2932-7002、FAX:04-2932-7003である。


写真② 施設の正面 
施設は1階建てで約215.8㎡(約65.4坪)、従業者は実質12.5人、1日平均47人ほどの利用者。利用料は要介護のばあい1~5という程度により、また利用時間数により差があり403~1,197円と差がある。入浴介護ほかリハビリ等は50~150円の追加料金。またおやつ代、食事代、交通費も別料金。ちなみにおやつ代+食事代は650円。

いずれにしても、今後在宅介護が広がりを見せるはずで、関係家族の負担を少しでも軽減する意味で、「里の家」は貴重な存在である。

2016年3月24日木曜日

牛沢のカタクリが3分咲きに!


なぜ北斜面で咲くのか?

 入間川土手のサクラは23日に開花した(別途掲載)。カタクリはサクラより開花が1週間ほど早いようだが、条件にも影響され決めつけられない。

 仏子駅を降り、北口に出て線路沿いの道を入間市駅ほうこうに戻ること約20分、国道299の下をこぐり、やがて踏み切に出る。これを渡り100mほどのところに、市の案内人がいるはず。ここから約300m先が牛沢のカタクリ自生地である。加治丘陵の東はずれといった場所で、丘陵の北斜面である。3月下旬から4月上旬までが開花期。雑木林が新緑に覆われる頃には、種子も熟し葉も枯れて地上から姿を消すとのこと。
 写真① 小高い丘の中腹以下に群生

市が借り受けきれいに管理された6,600平方メートルの雑木林のうち、手前側の2,700平方メートルがカタクリの自生地。丘に這いのぼるようにカタクリが生え、3分咲きの可憐な花がちりばめられていた。紫の花弁は下向きだが、満開のころには上向きになる。

くれぐれも「掘って持ち返る」という気をおこさないことだ。根が深く、かつ他所に植替えても生育環境が自生地とまったく異なるので絶対育たない。理由は以下の通りだ。

写真② 淡い紫の花-春のはかない命の名もあり

カタクリは本来、日本海側の多雪の山地を本拠地にしていたものが、約2万年前の氷河期に東京あたりまで南下。ところが1万年前に氷河期が終わり、生き残るために選んだのが①低地でも冷涼な「北向きの傾斜面」だった。だから飯能ほかの自生地も総て森林の北向き斜面である。さらに②春先になると葉を落とし、日が当たる雑木林の中、③沖積錐の地形あるいは段丘崖の下部、④分布地の上に沢があり、ここから水が供給され夏場も気化熱の形で地下の温度が低い・・・といった理由である。(NPO法人地域自然ネットワーク理事長・小泉武栄氏の文章より)

写真③ 群生地手前にある「ほたるの里」も自然を再現!

カタクリの自生地の手前にはホタルの里がある・・・これも自然石や花に囲まれた小川を再現しており、箱庭のような美しさを感じる。


2016年3月19日土曜日

49段の「傘屋の坂」ー円照寺と高正寺結ぶ!


 昔は道路わきの小川に沢カニが生息

 195号線=富岡入間線に面した仏子地区に「円照寺入口」というバス停がある。この近くに「自転車乗り入れ禁止」の立て看板があり、奥を除くと急坂の石の階段がある。その段数は49段、一番下に疎水をまたぐコンクリートの板がある。これまで入れると50段である。下から登る場合は胸突き八丁のきつい坂であり四苦八苦する。とすると四十九段と見たほうが場の雰囲気に合っている。
写真① 傘屋の坂はいまは階段(下から上を仰ぐ)



写真② 傘屋の坂(上から下を臨む)

 もともとは、段丘下の円照寺と段丘上の高正寺を巡礼する際の近道だったものと思う。そして現代になり、滑らないよう階段状に直したもののようである。正式には「傘屋の坂」と言う、この近くに傘屋の屋号の家があったので名付けられた坂道。竹やアオキ、ヤマツバキなどが茂り、その中を小川が走り、沢カニが住んでいたという。いまは小川を暗渠に代えたため、コンクリートの広い階段がややカーブしながら伸び、石組の高い壁が左右を囲んでいつ。



 「なんの変哲もない」とお叱りを受けるかもしれないが、巡礼者や村人が汗を流しながら登った道だと思うと捨ておけない。

2016年3月7日月曜日

狭山茶を使った緑茶あん&甘納豆パン-セブンにあり


  
   日経新聞の3月2日朝刊に「狭山茶使った菓子パン発売」の記事が出ていた。山崎パンが3月1日から期間限定(=2ケ月)で、狭山茶を使った「あんパン」「カレーパン」「メロンパン」「蒸ケーキ」の4種を発売したというニュース。



早速買に出かけたが、仏子でヤオーコーやファミリーマートと探したがない。セブン・イレブンでやっと見つけたが、セブン2店でも置いてあったのは「あんパン」135円?のみ。

「埼玉県ご当地応援企画 地産地消シリーズ」の第1弾のため、「彩の国さいたま」の5人の輪のマークがついている。



 パンの生地、あんこ、ホイップのそれぞれに狭山茶が練り込まれているが、お茶の香りや味は抑えられた感じで、あんことポイップのとろける甘味がなんとも言えない。もう少し抹茶の味があっても良いのではとも思う。というのも、このところお茶は消費が低迷しており、これから消費を伸ばすには、抹茶をパン、ケーキ、アイス、ドリンクなどに大いに活用して欲しいと願うからだ。そして地元茶業者のためにも、一つ山崎の狭山茶菓子パンシリーズをぜひ試食してみてほしい。

2016年2月27日土曜日

龍園寺 (新久717)

椎の巨木と自然石の壁が美しい!

境内正面にある本堂は昭和42年に再建、左手の観音堂は大正3年の再建と、年代の新しい建物が中心。それだけに明るさが前面に出た真言宗の寺である。正式名称は龍岳山「龍園寺」で、真言宗智山派に属し、本尊は空虚空蔵菩薩だ。奥多摩新四国霊場第41番札所で、札所本尊は下記の千手観音菩薩。 














写真① 本堂
南一帯は狭山茶の主産地で、寺は加治丘陵の裾にあり陽当たりもよく、「狭山茶の記念碑」が太陽に面して建つ。裏側の墓地を登れば茶畑が眼下に展開する。

建物は新しい部類だが、歴史は古い。建仁の頃(1201~1204年)、この地を巡礼していた僧の寂蓮が、地元近くの小名田谷の井戸から出現した10センチほどの金の千手観音菩薩像を祀ったのが起源とされる。もともとは発見場所にあった井戸観音も、現在は境内にある。このあと何回も火災にあったが、宝永6年(1709年)に僧・俊誉が中興の祖となって再建された。











写真②  漢音堂


















 写真③ 椎の巨木


見どころは入母屋造りの多くのノボリで囲まれた観音堂だ。その前にそびえるくねくねした椎の大木も見落とせない。近代の優れた巨大オブジェといった風情がある。秋には椎の実拾いもできるようだ。次の見どころは、観音堂の北側の崖を支えたいくつもの自然石が美しい(写真)。












写真④ 自然石を集めた壁

四季に応じサクラ、サツキ、ツツジ、モミジ、イチョウ、ドウダンなどの花や紅葉が楽しめる。また1月16日に新久観音大祭、8月16日に観音例祭と盆踊り、12月10日前後の日曜に朝祭がある。なお裏手には「かま跡公園」があるが、これはかつて国分寺瓦を焼いた登り窯のあった跡とのこと。

2016年2月26日金曜日

入間川・仏子「遊歩道の桜」3月29日開花!!

令和6年は29日(金)開花・・・寒暖の激しい年だが、寒が勝り開花はすこぶる遅くなった。

令和5年は19日(日)開花…3月に入り気温急上昇で開花早まる

令和4年は23日(水)開花…22日は関東一円に雪。23日気温急上昇

令和3年は月17日(水)開花

 今年は暖冬と適度な雨で開花は早まった部類。19日は標準木はすでに2分咲き。リバーサイド団地の花壇でもすでにチューリップの花が開き、ビオラ等と春盛りの姿にある。

令和2年は月18日(水)開花

 今年は開花期に冷える日が続き3月15日に1輪咲き、その後足踏みし18日には白い蕾が多数になり、19日に指標木以外でも一斉に数十も咲いた。3輪咲きの特定ができず、開花日は18日(水)と後付け。 
 写真は3月19日の様子 ぜひ見に来てください。土手の遊歩道には4台のベンチがあり、ペンキも塗っておきましたので座っても鑑賞できます。土手の草刈りもされており、ブルーシートを広げ、花咲くしだれ枝をまじかにみることも可能です。

 遊歩道で桜を見ている方が、「ほかの地区では桜の古木の間に、新しい苗木を植えていますよ。ここでもすでに植えてから50年ほどたち、老木になり幹や枝が腐りかけていて危険。19号台風で2本の桜がさけたたとなればなおのこと、先々を考え桜の苗木を間ごとに植えるのが適切」とアドバイスしてくれた。地元自治会などで次を準備することが必要ではないか。

令和元年月24日(日)に開花       25日の開花状況


満開の4月3日の状況


 H30年度月23日(金)に開花

 入間川土手のサクラが23日にいっきに10輪以上も咲いた(リバーサイド31~32号棟の間の観測木)。
 平成29年が28日であったから、昨年より5日早いことになる。24日には上橋寄りの樹でも咲き、26~31日ころが見頃ではないか。

     今年、埼玉の他所より開花が遅れているのは、写真のように青梅や秩父の山々に残雪が多く、入間川の支流が冷たい雪解け水を運んで来るためではないか?実際、昨今の水量も例年に比し多い。 写真ー西武線側から見た西の山岳部は雪が一杯
写真2点ー3月28日。満開。いつもの年より白さが際立つ
    













     


昨年までの状況
 仏子の入間川の遊歩道には中橋~上橋にかけ、78本のサクラの巨木が並ぶ。3月下旬~4月上旬の開花期になれば、歩道はサクラのトンネルになり、対岸から見れば300mもの白の横断幕が映える。皆さんはサクラは根元より上方に咲くと思うだろうが、ここでは根元から3mも下に花が咲くケースもある。土手上に植わっており、土手の斜面に平行して下に突き出た枝も多い・・・そしてその落差が最大3mにもなり「しだれサクラ」のようになる。 


川が南西方向から北東方向へ流れる感じで、西日が当たりやすく、その分枝が南側に伸びるより、北の土手斜面側に伸びやすいためである。土手に坐われば、すぐ頭上は花一杯ということにもなる。   俳句 「枝垂れて 川面にキッス 桜花」
昭和28年 写真① 2月24日















写真② 3月19日        
つぼみがかなり大きくなった。
開花まであち1週間か?

写真③ 3月22日 ついに開花
 リーバーサイド31~32号棟の間の道路寄り
の枝で、ついに開花

















写真④⑤ 3月30日 8分咲き

   










昭和29年入間川土手3月28・29日開花
 仏子の入間川土手のソメイヨシノは、リバーサイド31号と32号棟の間の1本(やや早く咲く木)が23日現在、写真のとおり白く膨らみ、3月末には確実に開花。 
 3月28日、リバーサイド31・32号棟付近の3本の木で3~10花づつ確実に開花。
 

29年度

 3月28日(火) 都下府中市「多磨霊園」は2分咲き


28年度3月10日(日) 高遠城のコヒガンサクラ


地元のソメイヨシノは、すでに花1、葉9の時期である。車の往復時間だけで6時間・・・長野県伊那市の「天下第一のサクラ」とされる高遠城に飛び、コヒガンザクラを初めて見た。ソメイヨシノの白と違い、こちらはピンクの花びら。違った趣である。

明治8年ころから植えられ、樹齢130年に及ぶ老木を含め、約1,500本とされる。ソメイヨシノにくらべもっと時間差のある遅咲きと思っていたが、すでに満開。段丘上にある城跡は人人で、上野公園並みの賑わいだった。サクラは市内至る所に植えられたようで、三峰川沿いの眼下や、四方の高台にもピンクの花が咲き誇っていた。



   高遠美術館、江島囲み屋敷、歴史美術館、旧馬島家や旧池上家、川越のような昔のイメージで整備を進める商店街・・・と見どころが盛りだくさん。日帰りでなく1泊しないともったえない魅力の里であった。なお、民泊施設も整備されつつあるようだ。

2016年2月8日月曜日

「あんず幼稚園」に地下鉄電車がある! (仏子1089)


 園児の夢を乗せる場に

地下鉄・丸の内線をかつて走っていた400形電車440号が、仏子駅東北200mほどの「あんず幼稚園」に保存されている。鉄道ファンでない無知な当方は、初め西武線の電車かと思っていた。「赤い電車」と愛称で呼ばれ、車内は現在タタミ敷になっているようだ。いつまでも、園児の夢を乗せる場であって欲しい。
写真① 園内の400形電車440号 

 電車に親しむと、時刻表片手に小学校5~6年でも四国や金沢まで1人旅も出来るようになるもの。旅になれると今度は大人になりロシア、中国、台湾、マレーシア、インドネシア、オーストラリアと世界を雄飛する職業にも進んで飛び込める・・・これが45歳の我が息子の姿である=某飲食店チェーン現地法人のジェネラルマネージャー。

丸の内線は池袋―荻窪間を走り、昭和29年1月20日に開通した。当初は300形、後に400形、500形と変化したようだ。横幅はいずれも280cmのはずで、写真②は3形式に共通したプラモデルである。幅当方は49年間、終点の荻窪に住んでいたので、さんざん400形にも乗ったことになり、展示されている車両にも1度は乗ったかもしれない・・・懐かしさがこみあげてくる。

300形は外国のウエスチングハウス社と三菱電機が技術提携して造ったようだが、器用な日本のことで、400形は準国産に近いはず。

なお、車両は西武線を走ってはこばれたのではなく、夜間トラックを利用して運ばれたようである。トラックの夜間搬送が最も手軽でローコストとのこと。