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2016年6月8日水曜日

男声合唱団「白月(しろつき)」第4回公演


 繊細なハーモニーと若々しさ

ギターを弾く友人に誘われ6月5日(日)の14時から地元アミーゴのホールで開かれた上記「白月」の公演を聞きに行った。

白月のメンバー5人は、堀越進さん、杉貞人さん、小槻章光さん、吉冨達也さん、新井進さん。だれがテンール、バリトン、バスかもわからない始末だ。指揮者の小津準策さんは国立音大声楽科を出られ、桐朋学園大で指揮も学んだ方。少なくとも2010年から6年も練習を積んできており、レベルの高い合唱グループである。無料で聞かせていただくには申し訳ないくらい、繊細で美しいハモ二―だった。欲を言えば、さらに大胆で伸び伸びしたものであっても良いのでは。

驚くのは5人の年齢が70~90才で、平均年齢80.8才ということ。黒いワイシャツに黒のズボンの立ち姿は、若々しさに満ち、「やはり歌は脳や体を刺激し、若さを保つのに効果的」とアッピールしてくれたことだ。

曲は5人の方が青春時代に歌いこんだ、バイカル湖のほとり、黒い瞳、カチューシャ、菩提樹、野ばら、想い出のワルツ、比較的新しい「翼をください」「昴」など20曲ほど。作曲年代は1823~1980年の作品だ。

月2回、第2・4火曜にアミーゴで練習をしており、団員の加入を募っている。事務局電話:新井090-5550-0553、杉090-2219-7696

(平成28年6月記)



2016年4月22日金曜日

鼻笛の静かなブームを呼ぶ-野田在住の野田進さん


 鼻笛の演奏を聞かれた方も多いはず。いま静かな鼻笛ブームで、ここに紹介する野田在住の野田進さん(芸名・鼻笛笑遊)も老人ホームや各種サークル、小学校などから、演奏やレッスン指導を依頼され引っ張りだこである。なにせプラスチック、木、ブリキ、紙粘土、陶器など各種の素材で簡単に鼻笛が制作できる。野田さん自身も、写真のように様々な自作の笛を用意し、プラスティクのものなどを無料で配りながら教えており、小学生には長くは使えないが、型紙を切り抜いて作る紙の鼻笛を作ってもらい指導しているという。

写真① 入間川をバックに演奏中の野田さん


















写真② 野田さん手製の鼻笛各種
(上)最もポピュラ―なプラスチック製









 ノーズフルートと言われるくらいで、外国でもかなり古い時代から楽器の一つになっていたようだ。台湾、フィリピン、ハワイでは儀式で使用する横笛、縦笛形式の鼻笛もある。材質にもよるようだが、非常に高い音も出て、音域が広いのが特徴のようである。

笛を鼻と口に押しつけ、口を開いたまま鼻息を出せばピーと音が出、上手な人なら1時間もすれば1~2曲くらいのメロディを吹くことができるそうだ。楽器も自作できるものから、高くても1万円くらいまでと安い。このため「燎原の火のごとく、勢いよく普及しつつある」のもうなずける。

野田さんは、仏子地区における鼻笛演奏と普及推進の先達者で、また鼻笛演奏の第1人者であるモスリムさんとも、同じグループに属している。入間川の河原で演奏してもらっていたら、「あ、先日教えていただいた先生か?」と声を掛ける方がいるほど。

写真③ 野田さん
野田さん自身は、東京に住宅を持つが、郊外地に憧れの野田に移り住んで2年数か月とのことだが、「仏子地区の環境は最高ですね。自然も人情も豊かで、こんな住みよいところはない」と語り、老人ホーム、各種集会、小学校などでの無料の演奏やレッスンをさらに広く進めたい意向である。

必要であればどしどし下記電話に演奏ほかの連絡を。童謡他を歌ったり、太鼓の演奏も間に挟むことも可能である。また童謡コーラスグループとのタイアップ公演も考えている。
連絡携帯電話:090-3521-1422 野田 進

2016年4月12日火曜日

古民具=農具やはた織機を見る(他所の例)!

 仏子地区でも明治以前の経済の中心は農業(養蚕を含む)だったし、明治期の産業革命の一端を担ったのが、絹織物、綿織物などで、これらに関する古民具が、現存する土蔵(約20基)に眠っているはず。ぜひ名乗り出て欲しいし、この場でも地元古民具の紹介をしたい。

 しかし今のところその機会がなく、小・中学生の皆さんにも見てもらうため、また「昔目で見たこともあり、懐かしさを感じる高齢世代」にも見てもらいたく、長野県伊那市高遠町にある「高遠町民族資料館」や埼玉県の「三芳町民俗資料館」で展示されている古民具の写真を紹介する。農具については、第2次大戦のあとの昭和20年代ぐらいまでは、使われていたものが多いのではないか。

写真① 上段の右は田を滑らしながら作業する田の除草道具。 左の又の開いたものは稲刈り機。下段右は馬や牛に引かせる田の表面をならす道具(馬鍬)。


















写真② 中央は荷を背負うための道具。左は草鞋(わらじ=靴の代わり)
















写真③   手前はイネの脱穀用の千刃。その左はイネの足踏み脱穀機。奥は米の選別用ふるい。























写真④ 手前は千刃に連動したふるい。 奥は足踏みで風を送る米や麦の選別機。














写真⑤ 足踏みの縄ない機














写真⑥ 野菜や果物、桑の葉など収穫物を入れる背負い篭など。























写真⑦  各種篭と耕作用具、落ち葉搔きの道具。












写真⑧ はた織機

















写真⑨ はた織機


















写真⑩ 絹糸のつむぎ道具や撚糸などの生糸関係品。


2016年4月7日木曜日

「里の家」(仏子284-10)は宅老所の湯・楽施設!

 お年寄りが楽しく暮らせ、育児環境も整った町こそが、今後も人が移り住み、「活力を持ち続ける町」と言えるのではないか。前者については老人ホームも大切だが、在宅介護を支えるデイサービスに沿った老人の楽しめる憩いの場が必要である。

 仏子のばあい、その一つがデーサービス・。宅老所の「里の家」である。宅老所とは「民家などを活用し、家庭的な雰囲気のなかで、一人一人の生活リズムに合わせた柔軟なケアを行っている小規模な事業所」を指すようである。
写真① 案内パンフの一部。右の中段はヒノキの風呂

「里の家」のばあい9~16時の営業で休みは日曜と12月30日~1月3日のみ。9時半に訪ねると、すでに駐車場の車は送迎車ほかでほぼ満杯。施設の送迎車が充分あり、体が不自由でも来ることができる。施設内をのぞかせてもらったが、要介護者やそれ以外のお年寄りが、25人ほどもくつろいでいたが、みんな血色もよく、明るい顔だった。 

なにせ、施設内にはヒノキの浴槽もあって、からだが不自由でもユウタリと入浴できる。湯上り後は健康チェック、リハビリ、マーサージ、針、灸なども行ってくれ、ときにボランティアと碁なども楽しめる。昼食も頼べば用意してくれる。「ゆっくり入浴」「おいしい食事」「安心・くつろぎ」「楽しいリハビリ」がキャッチフレーズである。

要介護者ばかりでなく、元気なお年寄りの利用もOKで、送迎車が自宅まで迎えに来てくれる。要介護者は担当のケアマネージャーに相談するか、当事業所に直接連絡すれば、利用法を教えてくれる。 TEL:04-2932-7002、FAX:04-2932-7003である。


写真② 施設の正面 
施設は1階建てで約215.8㎡(約65.4坪)、従業者は実質12.5人、1日平均47人ほどの利用者。利用料は要介護のばあい1~5という程度により、また利用時間数により差があり403~1,197円と差がある。入浴介護ほかリハビリ等は50~150円の追加料金。またおやつ代、食事代、交通費も別料金。ちなみにおやつ代+食事代は650円。

いずれにしても、今後在宅介護が広がりを見せるはずで、関係家族の負担を少しでも軽減する意味で、「里の家」は貴重な存在である。

2016年3月24日木曜日

牛沢のカタクリが3分咲きに!


なぜ北斜面で咲くのか?

 入間川土手のサクラは23日に開花した(別途掲載)。カタクリはサクラより開花が1週間ほど早いようだが、条件にも影響され決めつけられない。

 仏子駅を降り、北口に出て線路沿いの道を入間市駅ほうこうに戻ること約20分、国道299の下をこぐり、やがて踏み切に出る。これを渡り100mほどのところに、市の案内人がいるはず。ここから約300m先が牛沢のカタクリ自生地である。加治丘陵の東はずれといった場所で、丘陵の北斜面である。3月下旬から4月上旬までが開花期。雑木林が新緑に覆われる頃には、種子も熟し葉も枯れて地上から姿を消すとのこと。
 写真① 小高い丘の中腹以下に群生

市が借り受けきれいに管理された6,600平方メートルの雑木林のうち、手前側の2,700平方メートルがカタクリの自生地。丘に這いのぼるようにカタクリが生え、3分咲きの可憐な花がちりばめられていた。紫の花弁は下向きだが、満開のころには上向きになる。

くれぐれも「掘って持ち返る」という気をおこさないことだ。根が深く、かつ他所に植替えても生育環境が自生地とまったく異なるので絶対育たない。理由は以下の通りだ。

写真② 淡い紫の花-春のはかない命の名もあり

カタクリは本来、日本海側の多雪の山地を本拠地にしていたものが、約2万年前の氷河期に東京あたりまで南下。ところが1万年前に氷河期が終わり、生き残るために選んだのが①低地でも冷涼な「北向きの傾斜面」だった。だから飯能ほかの自生地も総て森林の北向き斜面である。さらに②春先になると葉を落とし、日が当たる雑木林の中、③沖積錐の地形あるいは段丘崖の下部、④分布地の上に沢があり、ここから水が供給され夏場も気化熱の形で地下の温度が低い・・・といった理由である。(NPO法人地域自然ネットワーク理事長・小泉武栄氏の文章より)

写真③ 群生地手前にある「ほたるの里」も自然を再現!

カタクリの自生地の手前にはホタルの里がある・・・これも自然石や花に囲まれた小川を再現しており、箱庭のような美しさを感じる。


2016年3月19日土曜日

49段の「傘屋の坂」ー円照寺と高正寺結ぶ!


 昔は道路わきの小川に沢カニが生息

 195号線=富岡入間線に面した仏子地区に「円照寺入口」というバス停がある。この近くに「自転車乗り入れ禁止」の立て看板があり、奥を除くと急坂の石の階段がある。その段数は49段、一番下に疎水をまたぐコンクリートの板がある。これまで入れると50段である。下から登る場合は胸突き八丁のきつい坂であり四苦八苦する。とすると四十九段と見たほうが場の雰囲気に合っている。
写真① 傘屋の坂はいまは階段(下から上を仰ぐ)



写真② 傘屋の坂(上から下を臨む)

 もともとは、段丘下の円照寺と段丘上の高正寺を巡礼する際の近道だったものと思う。そして現代になり、滑らないよう階段状に直したもののようである。正式には「傘屋の坂」と言う、この近くに傘屋の屋号の家があったので名付けられた坂道。竹やアオキ、ヤマツバキなどが茂り、その中を小川が走り、沢カニが住んでいたという。いまは小川を暗渠に代えたため、コンクリートの広い階段がややカーブしながら伸び、石組の高い壁が左右を囲んでいつ。



 「なんの変哲もない」とお叱りを受けるかもしれないが、巡礼者や村人が汗を流しながら登った道だと思うと捨ておけない。

2016年3月7日月曜日

狭山茶を使った緑茶あん&甘納豆パン-セブンにあり


  
   日経新聞の3月2日朝刊に「狭山茶使った菓子パン発売」の記事が出ていた。山崎パンが3月1日から期間限定(=2ケ月)で、狭山茶を使った「あんパン」「カレーパン」「メロンパン」「蒸ケーキ」の4種を発売したというニュース。



早速買に出かけたが、仏子でヤオーコーやファミリーマートと探したがない。セブン・イレブンでやっと見つけたが、セブン2店でも置いてあったのは「あんパン」135円?のみ。

「埼玉県ご当地応援企画 地産地消シリーズ」の第1弾のため、「彩の国さいたま」の5人の輪のマークがついている。



 パンの生地、あんこ、ホイップのそれぞれに狭山茶が練り込まれているが、お茶の香りや味は抑えられた感じで、あんことポイップのとろける甘味がなんとも言えない。もう少し抹茶の味があっても良いのではとも思う。というのも、このところお茶は消費が低迷しており、これから消費を伸ばすには、抹茶をパン、ケーキ、アイス、ドリンクなどに大いに活用して欲しいと願うからだ。そして地元茶業者のためにも、一つ山崎の狭山茶菓子パンシリーズをぜひ試食してみてほしい。